設備修理

■設備修理

 今日も仕事である。いつもと同じ流れである。

 職場の駐車場で窓を全開にしたら、いい気持であった。いい気温の微風が終始吹いてくれた。これだけで、幸せな気持ちになれる。

 朝一は、荷卸し作業に決まっているようなので、事務所に向かう。問題は、10時からの通常作業である。昨日の封函工程はこりごりだと思いながら配置板を確認したら、今日も封函工程であった。

 自分の知る限りであるが、もともとこの封函工程には人は張り付いていなかったようだ。主な作業は、接着剤を入れるだけなので、メンテナンス要員で充分である。しかし、数年前に働きたいという人が入社された。自分より年齢は上のように見える。その方は、重い荷物を扱う仕事はダメで、段ボール入れのような忙しない作業もダメという。おそらく、縁故だろうと考えているが、その人のために、人が不要であった封函工程の専属にした。まあ、たまに蓋が開いて戻った箱をホッチキスで止める作業はある。

 しかし、ここ数日は自分も含めて二人配置されている。そして、自分の作業は、箱が横になって流れを止めるのを防ぐことである。確かに、横になって詰まってしまう。午前中4回あった。午後も3回あった。しかし、ほとんど、ボケ~っと立っているだけである。楽だからいいだろうとう人もいるだろうが、自分は筋トレが目的で仕事をしているので、もうこういう待ちぼうけはしたくないと考えていた。

 そこで、箱が横になる原因を調べたのであった。問題があれば人を張り付ければいいだろうとう考えのところなので、真の原因を追究して対策することの重要性を認識してもらいたい。

 時間はかかったね。このラインというか設備は、大きい。小学校の体育館2棟分ほどで、部分的に3階建てである。センサーの類が無数であろう。搬送ローラーは万の単位であろう。モーターも千の単位であろう。もちろん、自動制御で大きな配電盤がいくつもあり、ライン監視モニターも幾つもある。個別に制御室までもある。

 もう終わりかけの時に、原因が分かった。ガイドのボルトが脱落しており、重さ10kgほどの製品は時速10kmほどで当たると、ガイドが広がり挟まるということが分かった。さっそく、管理者に来てもらって説明したところ、疑い深い顔をされて、一旦戻られた。再び、戻って来られた手には、部品と工具があり、渡された。

 わしが、直すのか?何か違わんかとも思ったが、もうやりたくない仕事なので、動いている中で修理をした。途中、10kgの製品が指にぶち当たり、痛いのなんの。

 ガイドは、堅固な作りで、だいぶ力を入れてボルトとボルトの穴を合せた。スパナ2本で締め付けた。その後、終わりまで見ていたが、動きが違うので問題なしとした。

 帰り際、結果を聞かれたので、原理原則と症状から間違いないと言って来た。

 その結果は、次の自分の配置で分かる。もし、引き続き、封函工程の担当の場合は、何もしないつもりである。歌でも歌っていようと考えている。

 なんでもありの職場のようだ。次の配置が楽しみである。

■「ただいまを生きる“禅の生き方”」(水上 勉著、アーツアンドクラフツ、2022年)を読む。(その1)

「一日生きられればたくさんなものを、長寿、不老を願ったとは滑稽である。」

「生きることが重たくなっているのである。」

「~健常な人間にこそ、物のきこえぬ一瞬があるものだということはわかっていて~」

「めんどうなことは近よりたくないのもすこやかな人情である。」

「げに、文学は人の世を照らすものだと、いいたい。」

「人は出自の時刻で半分くらいその生涯が暗示されているそうだから~」

「明日死んでもよいという一日の幸福感を保つ工夫されあればいいのである。」

「本来無一物」

「未練とか、こだわりとか、欲望とか、期待感とかそうしたものをいったん捨てろ、と道元は言うのである。」

「悟りということは捨て切ることであったはずである。」

「心臓の病の直後は~否応なしに自分を放棄せざるをえなかったが~」

「現在私は食べることについては、ほとんど自給生活をしている。」

「~私は相変わらず~昔どおりのことをやっている。」

「山持ちにはかなわないなあ」

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」

「死に引き寄せられてばかりいると、そこから汚れてくるのである。」

「死は恐ろしくはないのであるが苦しみが恐ろしいのだ」

「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなって居る。」