■汗だく
今日もいつものように職場へ向かう。今日の風はいい気持であった。ほとんど、車の中で眠っていた。眠りたいときは眠るのである。
時間が来たので事務所へ向かう。実は、封函工程の担当が休むと聞いていたので、自分はそこだろうと考えていた。配置板を見ると、午前中一杯、荷卸し作業である。筋トレが出来る。
最初は、8時から荷卸ししていたが、最近は9時からになった。そして、大学生が一人も来てない。そろそろ学校か。何とか頭数だけ10人にしたようであるが、受け入れ時間が短くなったためトラックの到着密度が高くなるので、複数台来た時は、数人で荷卸しをしなければならなくなる。気温も高かったのもあろうが、汗だくになった。
通常作業の10時からは、半分ほどラインに入るので、5人で荷卸しをやらなければならなくなる、流石にこれは堪えたね。
荷卸し作業は、一台終わると休憩できるというか、皆座っている。自分も風の通る場所に座っていた。その時、人事部長がやって来て、荷卸しは、そんなに人はいらないだろうから、箱を作って欲しいと指示が来た。
箱を組み立ててエアーホッチキスで止める作業である。午後からこれを使うということであった。この作業を専属で行っていた方の顔が見えないので聞いたら、今年は来なかったとのこと。自分は毎年やっており、自分が一番詳しいということになってしまった。このラインは早いので、30箱程度の余裕では直ぐに追いつかれてしまう。
荷卸しは12時で終了であるが、この作業は通常ラインと同じ時間まで続けられた。
少し割増しになった。
誰も知らないので、自分に聞いてくる。そしてパレットを6枚引くことになった。代車に乗せて運ぼうとしたので、リフトで運びますと進言した。初リフトである。流石に、何年もやった操作などは身体が覚えていた。6枚運び、1枚づつ引いていった。
自然に自分は、一番難しい作業である箱の製作を担当することになってしまった。これが、忙しいのである。まあ、力はいらないが汗だくになりながらの作業であった。作業服は汗で変色した。やっと終わったら、掃除である。掃除は早く終わって賃金の不足を補うための方策である。
封函工程に様子見にいったら、だいぶ苦戦していたようだ。これで、次回からの自分の配置はだいたい分かった。
■「死という最後の未来」(石原慎太郎・曽野綾子著、幻冬舎、2020年)を読む。(その2)
「霊というのは、人間の想念なんです。」
「もともと若い頃から、生きる意味というものを知りたい人間ですから。」
「哲学というのは、時間と存在について考える学問でしてね。」
「いろいろなことを知ると、謙虚にならざるをえないでしょう。」
「本当に人との出会いは不思議で、何かの力で出会わせてくれているように感じます。」
「小説は人生にとってのいわば“毒”です。」
「~人と人が話すというのは、生きるうえでの基本だと思っています。」
「思い残しのないことが、心に平安をもたらすのでしょう。」
「~過剰看護がいかに残酷かを感じましたね。」
「人間の死は決して、命の消滅ではなくて、永遠に向かっての新しい誕生日」
「人は死ねば、2,3年で忘れられますから。」
「つくづく年寄りが蓄積してきた経験の大切さ、尊さを思ったものですよ。」
「自分がするべきことをやって、もう十分にこの世を生きた。」
「~満足してーーーーあるいはまったく絶望しきって死にたいものだ」
「全部を整えてから死ぬなんていう、都合のいいことはありえませんから。」
「老いというものは、そうやってさまざまな決別を促すものなのかもしれないですね。」
「~トレーニングは怠ることなく、やり続けていますよ。」