上にぎり

■上にぎり

 仕事が休みも2日も続くと、もう仕事前の生活に戻っている。今日は晴れそうなので駅のセカンドオフィスに向かう。

 途中、城址公園の中にあるモミジバスズカケノキの実を拾おうと、寄り道をしたが、実が成っていない。松川沿いの木は成っているが、まだ熟していない。まあ、落ちたら拾おうと駅に向かう。

 少し遅かったためか、お気に入りの席は全て埋まっていた。まあ、どこでもいい。まずは、新聞に目を通し、本を読むが、直ぐに眠ってしまう。この時間が至福である。

 9時になったので、林業カレッジへ確認の電話を入れる。

 頭の中は、今日の昼飯のことで一杯になった。味噌ラーメンにするか、生姜のあんかけ蕎麦にするかで迷っていた。疲れが出たので店を出る。メニューはまだ決まってないので、時間も早かったので公園へ向かう。歩いていると、木の実が落ちている。まだ青く、落ちたて~、という感じなので拾う。

 まだまだ、拾おうとしゃがんでいると、知人のTさんからランチのお誘い連絡が入る。これは、いい。これで、ランチは考えなくてもいい。公園まで迎えにきていただき、ランチ場所まで連れて行ってもらう。

 何を食べるのかと車の中で話をしていたら、生白エビが食べたいとのこと。記憶の限りでは自分も今年は食べてないようだ。そこで、大型ショッピングセンター内のお寿司屋さんへ入る。

 ランチメニューは3種類あったが、白エビの乗っているのは高い。まあ、上にぎりに該当するんだろうね。仕事をして賃金を得ているという気持ちと、500円割引券があるということで、少し、いや、だいぶ高いセットを頼む。

 最初はイカから食べる。これは・・・・、びっくりした。これでは一皿100円などというのは寿司とは言えないのではなかろうか。いきなり驚いた。ネタが全然違う。マグロは大トロではなかろうか、口の中で溶けてしまった。これは、生きた金の使い方であると思った。

 食後は、ハクチョウを見に田尻池に向かうも、今の時間は餌場に居て池にいないことは承知している。

 いつものカモたちが来ていた。オナガガモホシハジロキンクロハジロが見える。

 自分が見ているのは、この群れの中に変った鳥が来ていないかを確認しているのである。よくハクチョウと一緒に飛来するのは、サカツラガンとかマガンがいる。

 あれッ! この鳥、オナガガモの雄にしては、首の白い縦線が無いし、メスにしては、ちょっと違うような気がするんだが、なんかな?

 まあ、何でもいいのである。流石に、調べる気力はもうない。

 野鳥観察後は、栗を拾いに向かう。もう終わりだね。

 少し時間ができたので、いつもの喫茶店に向かう。小腹が空いていたので、お互いオムライスを頼んだ。もちろん、食後のコーヒーもいただく。

 知人のTさんには、自宅まで送っていただく。

 まだ、日が高いのでどこかへ行こうかと考えていたが、いつのまには眠ってしまった。夕方近くに成ったのでやめる。

■「水曜日は働かない」(宇野常寛著、集英社、2022年)を読む。(その1)

「少なくとも最後まで歩かなかった」

「~僕は朝に習慣を持った。」

「もう一生、自分はこの“余生”を過ごすつもりだったのだけれど~」

「~大抵の人は、死んだ魚のような目をしていた。」

「僕たちにはもう夜の時間は必要ない。」

「社会の潤滑油としての“飲みニケーション”は単に人間の創造性を殺してよりネジや歯車に近づけて生産性を上げる時代遅れの“仕事”への最適化に過ぎない~」

「このパンデミックは僕たちが当たり前のように受け入れてきたものを問い直す絶好の機会でもあるはずなのだ。」

「模型とは、ひとつの批評だ。」

「その計算され尽くした心地よさが既にお前たちは場違いだと告げていた。」

「人は、運命から自由ではない。」