■イベント日
おかげさまで予定はない。昨日の登山の影響だろうか、足腰が痛痒いし、なんとなくだるい。天気がいいのとフォレストリーダーの駅中イベントを確認するために、いつものセカンドオフィスへ向かう。今日は、出足が遅かったので、到着も遅かった。
お気に入りの席は空いて無かったので、ここにする。しばらく、本を読んでは眠ったりを繰り返していたが、パリンという大きな音で目が覚めた。
見ると、自分の直ぐ前のカウンターの10代と思われる男の子の場所でコップが落ちたのであった。本人は、カウンターにうつぶせになって動かない。
店の方が、肩をやさしくたたくも、動かない。ここで、自分は突然死を予想した。若い方でも起こるのだろうか。しかし、その後の、継続した肩たたきで、若者は起き上がった。そうして、片手手刀で終わった。
早めに出て木育フェアを確認する。思ったより規模が大きいね。
フォレストリーダーのイベント場所は、駅構内の半分ほども使用している。こんなに来るんだろうかと思うが・・・。自分も参加を要請されたが、ある理由で不参加にしていた。
知り合いに挨拶をしてから、帰路に着く。途中、ここでもイベントをやっている。確か、市民プラザ前、城址公園、富大祭などもあったようだ。今日はイベント日のようである。
少し遅くなったが、昼食である。昨日はたっぷりと肉を食べたのに加え、今朝はマフィンにステーキ肉を2枚焼いて挟んで食べた。パンズよりも中身が厚い。
もうしばらくは肉はいらないだろうと、簡単なスパゲッティにした。コンソメスープの中に入っているのは、ハムの端っこを切ったのである。
ダイコン寿司は、書物によれば2週間ほど経ったのがいいらしいが、自分は待ちきれず4日ほどで食べている。もう2回分ほどしかないので、次のロットを検討する。
まずは、ダイコンかカブかであるが、これはスーパーに売っているのを買うつもりである。間違っても買いまわったりはしない。問題は魚である。ブリの第二段もいいが、やはりサバにしようかと考えているが、値段が高くて手が出ない。もう2,3日考えよう。
少し昼寝をしてから、フォレストの準備作業を行う。
夕方になったので、くつろぎに出かける。
店を出る時は真っ暗であった。
■「こんな老い方もある」(佐藤愛子著、角川新書、2017年)を読む。(その2)
「怒っていない時は寡黙である。しゃべることに無力感を覚える。」
「言葉の氾濫のおかげで、人々は考えることをやめている。」
「器の大きな人間は、あくせくあくせく、出世を夢みて働くようなことはしない。」
「目は心の窓というーー」
「目に力のある男は声が大きい。」
「本を読むのは退屈しのぎであって~」
「無職ですることがなく、金もなく、ほかに楽しみもないから皆、小説を書いていたのかもしれない。」
「私たちはいつも金に困っていた。」
「常識? そんなものクソくらえ!」
「何を植えても枯れてしまうのは、海から吹きつけてくる潮風のためである。」
「~株は金儲けではなく人間修行の場なのである。」
「活力がみなぎっている時は早起きになり~」
「金は自然に増えて行くのが理想であって、無理して増やすものではない。金を増やそうとして一所懸命に計画を練って実践しようとすると生活が委縮してしまう。」