古洞の湯

■古洞の湯

 仕事が終わったら温泉へ行こうと決めていた。しかし、場所までは決めていなかった。頭の中では、どうせなら県外で一泊かとか、昼弁当を持って一日中過ごそうかと考えてはいた。

 そんな時偶然であろうが、なにかで古洞の湯が閉鎖されるという記事を読んだ。自分の中ではいい温泉の部類に入れている。実際、過去の経験からもここの湯は効いていることが実感出来ていた。雪が降ると行きにくくなるので、今日行くことにした。幸い、雨であった。

 朝起きて朝食を作ろうとしたら、なんとマフィンが切れているではないか。ルーチン化しているので、いつもあるものだと認識していた。そういえば、昨日なんかを忘れているような気がしたが、マフィンの購入であった。

 皿一杯のキャベツとニンジンを食べてから出かける。

 仕方がないので、温泉が開くまではマックドで朝食を食べながらくつろぐ。しかし、途中でコーヒーが無くなったので出る。行先は、業務スーパーである。なんとか記念で安売りがある。生活必需品だけ買ってから温泉場に向かう。

 いくらゆっくり入っても1時間半が限度である。でもゆっくりと堪能できた。自販機では定価で券を買った。

 楽しみの体重は・・・・、増えていた。順調にリバウンド街道を進行中のようだ。

 ちょうど、家に着くころには昼食である。今日は気温が低いのか寒く感じる。今日のような日は、ニシン蕎麦がいい。ニシンは、いつもは半生を買って調理して使用しているのであるが、今日は、出来合いのニシンを買ってみた。

 少し寂しい昼食になってしまった。

 昼食後昼寝をするが、あまり眠ると夜眠れなくなるので、ほどほどにする。眠気を押してフォレストの準備作業を行う。

 雨が止んだようなので、時計屋さんへ行くことにした。何かの本に自分の持っているメーカーの時計の話が出ており、父親の形見としていた。実は、新婚旅行の時に買ったのであるが、太って腕にハマらなくなった時から外していた。もう20年以上も付けてないと思う。しかし、最近、少し痩せたのではめて見ることにした。ちょうどハマる。どうせ故障しているだろうと、時計屋さんに修理見積をしてもらった。思ったより高いので止めようと思ったが、対応してくれた人が蓋を外すと、自動巻きだと考えていたが、電池であった。そこで、電池を交換してもらったら、ちゃんと動いてくれた。今買ったら幾らぐらいかと聞いたら、40万円ほどという。まあ、形見にはいいかも。

 ちょうど、セカンドオフィスの近くなので、ゆっくりすることにした。

 これから寒くなるので、もう何回か温泉へ行きたいものだ。

■「本を読んだら散歩に行こう」(村井理子著、集英社、2022年)を読む。(その1)

「人間は信用できない。信用できるのは、本~」

「きっかけはなにかといえば、それはだぶん、老いだ。」

「老いとは、受け入れながらも翻弄されてしまうものだと確信する。」

「自分の死をある程度予測し、それを自分なりに受け入れることができる人は幸せだと思う。」

「今は、人生の終わりも選べる時代であること~」

「本との出会いは不思議なもので、そのとき必要な一冊、長く記憶に残り続ける一冊が、なぜか目の前にふと現れることがある。」

「一方的な親近感は迷惑でしかない~」

「~いつ無職になるかわからないというギリギリの生き方~」

「人生のピークは遅い方がいい」

「~記録して残すこと、自分の言葉で書き残すことへの執着なのだ。」

「実は“死”なんて当然のようにいつも身近にいますという~」

「必ず終了させられるのであれば、その前にすべて残してやろうと思う。」