副反応

■副反応

 朝からだるい。まったくひどい状態であった。目が覚めても起きようという気力が起きない。思い当たるのは昨日のワクチン接種の副反応だろうと考えている。そういえば、4回目の時も翌日ひどかった記憶がある。

 家を出たのが9時過ぎであった。陽射しもあり、ラッシュも終っており、この時間帯もなかなかいいと感じながら歩いていたが、どうもだるいので総曲輪のセカンドオフィスに到着した。

 ここで、喫茶店で会う常連さんと出会う。こっちの方に仕事があったようである。

 少し話をしてから昼食のために帰路に着く。自宅へ戻っている途中に異変があった。例えていうと登山の時のシャリバテに似ている。歩いておられなくなり立ち止まってしまった。このまま、野垂れ死にかという思いがかすめる。

 一歩一歩カメ歩きをしていたら、自家用車が止まった。家人が戻ってきたのである。

 聞いたところによると、ひどい歩き方をしていたようだ。車で助かった。帰宅後は、何もせずトドになる。

 少し元気になったので昼食を作る。今日はいろいろ挑戦したいことがあったのである。

 まずは、デザート作りである。近くの公園からマテバシイを採って来た。落ちたのではなく木に成っていて手が届く範囲の物である。もう時期が終わっており、少ししか採れなかった。マテバシイはブナ科のシイ属である。シイ属の実は食用可能と出ているが自分は食べたことがないので、今回食べることにした。以前、スダジイを食べた記憶はある。

 問題は外側の殻である。フライパンで炒ったがダメであった。そこで、封筒に入れてレンチンしたら、半分ほど割れた。残りは、封筒の上から足で踏んで割った。

 このままでは味気ないので、グミジャムをまとわせたのと、チョコレートでコーテングしたのを準備した。

 今日はスパゲッティであるが、今回はカレースパである。肉は、朝のソーセージの端っこを刻んだ。サイコロステーキも乗せたら豪華になった。

 サラダのトマトは家庭菜園からである。もうそろそろ終わりである。

 カレースパはなかなか良かったのでレパートリーに加えても良さそうだ。問題は、マテバシイである。煎って食べるとあったので煎ったが、とにかく硬い。まあ、食べることは出来るが、美味しいかと言われれば、日頃アーモンドや落花生を食べている身としては、美味しくはないと言わざるを得ない。

 しかし、考えようによっては、昔の人はこの硬い実を食べていたのではなかろうか。自分の顎の力が弱くなっているのではなかろうか。来シーズンは、早目に取り込み沢山皮を剥いて冷凍しておき、いろいろ試して見たいものだ。

 昼食後もだるさは抜けず、なごなっていた。このままではまずいとおもったのか、クルミを半分ほど処理した。明日には回復するだろうかねえ。

■「70歳のたしなみ」(坂東眞理子著、小学館、2019年)を読む。(その3)

「~言われた方は覚えている。」

「人間誰でも人には言われたくない。」

「言葉はするどい剣であり、人の心をグサっと傷つける。」

「“忘れる能力”“気にしない能力”」

「~働きすぎる前に疲れてしまう高齢者に働きすぎて死ぬ人はいない~」

「頼まれごとはためされごと」

「自分が他人に迷惑さえかけなければ何をしてもいいのだ、“自分らしく”何もせず人の世話もせず仕事もせず好き勝手に生きるのが高齢者の特権だ、と思うのはやめよう。」

「~お金のためではない活動が大きな喜びと生活の充実をもたらす。」

「肌が衰えたら男性でもローションやリップクリームの一つも塗る。」

「~人生何を始めるのにも遅すぎることはない。」

「~こうしたサービスをただで受けようとする。」

「何かのきっかけで国債が暴落すれば円が売られ物価はハイパーインフレで、国民経済は破綻する。」

「~がんになったことで失ったものがあるだけでなく、新しく得たものがあり、新しい気づきがあるという。」

「~多くの人はそれをはね返し、元の状態に戻る力を持っている。それをレジリエンス(復元力)という。」

「高齢者に死ねというのか!」

「高齢期のたしなみは基本は自立能力をつけることである。」

「65歳以上を一律に高齢者とみることは現実ではなくなりつつある」