日課

日課

 毎日決まったローテーションがある。これには、晴れの日用と雨の日用がある。最近、新たにマスクを買うという課題が加わった。まあ、正確に言うとマスクを買うために並ぶと言った方が適当だろう。昨日に引き続き今日も5時に起床し、5時半には近くのドラッグストアまで徒歩で向かう。辺りは明るくなっているが、気温は低い。春はあけぼのなどと思える気分ではない。駐車場の車を確認するまでがドキドキでスリルもある。車は8台ほどで、並んでいる人は10人ほどであった。やっと買えるのかと思いながら列の最期に着くと、親切な方が、今日は10個と書いてありますよと教えてくれた。自分は12番目である。そして分かった、この状態は既に11番目以降の方が帰られた後なんだということであった。次回はもう少し早めようかと思案中である。作戦もある。椅子を積んだ車で行って、列に椅子だけを並べておくのである。そうして、車の中で待つという方法である。今日も、そういう方がおられた。まあ、車の中も寒いかね。

 そうして、2か所目も並ぶ。ここは18個あるというが、ダメであった。

 県内にも感染者が発見された。自分では、発見されない方が一定数いると考えていたので、特に驚かないが、重篤化する条件として、高齢者、持病があるという候補としてやはり気にはなる。こんな時は、外出自粛である。外食などはもってのほかである。今日の昼食は、肉うどんにする。

 自分で打った手打ちうどんを伸ばし、切って茹でる。肉は牛丼の具にする。長ネギは小口切りではなく、長く切りだしの中で茹でる。そうして、うどんを水で締めて、出汁に中で茹でると出来上がりである。

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 先ずは、味を確認する。味覚が正常かどうかの確認であったが、うどんの味がした。そして、今日でうどんの作り置きが無くなったので、また作らなければならない。こうした生活がしばらく続くのだろうか?うどん粉は2kgほど確保してある。

 午後からは枝を処理してから、子供をスタバに送ってから家人を迎えに行く。今日は歩数が足りてないので、公園を2週ほどしてやっと規定数になる。

 明日は雨であるが、早起きでマスク行列に並ぼうと考えている。最近2桁になっているので、だんだん充足してくる予感がある。

 昨日の知事の会見といい、今日の市長の会見といいヒドイものであった。情報の速さを重要視して市の対応を遅いという知事に対し、内容のない会見は無意味と中身を重要視する市長の対立であったが、もう少しなんとかならなかったかね。大人だろう!

■「本物のおとな論」(外山滋比古著、海竜社、2016年)を読む。

「歩き方は人をあらわす」

「外国のまねが高級だという錯覚~」

「歩くのが健康によい、というのでヤミクモに歩き出したが、いい加減な歩き方では、いくら歩いても、効果は上がらない。」

「スタイルは人なり」

「本だけ読んでいては生きることは分からない。」

「敬語はことばのたしなみである。」

「“ください”は命令形である。~見おろしたことばづかいである。」

「~知識はあるが、人間について無知な人間が、どんどんふえたのである。」

「史上最高の大人は、ジェントルマンかもしれない。」

「~外国のことを真似て、進歩だと思ってきた社会は、幼稚な社会である。」

「“経験は最良の教師なり”“ただし、月謝がひどく高い”」

「大人になると、バカ正直でもウソをいうよりもよいというワカラズ屋がふえて、ややこしくなる。」

「文化はウソ半分、である。」

「よく笑う医者はよく治す」

「ひとのことを考えないのは、幼稚である。」

「~教室で大声で出して授業をするのは、ジョギングくらいのエネルギーを要する~」

「権威をもっているもの、エリートであると自覚するものは、いつまでも幼稚な自己中心的な考えをすてることができない。」

「何でも知っているバカがいる」

「学問の背景のあるバカほど始末の悪いものはない」

「自分の頭で、実験をし試行錯誤の苦労をおそれないのがA級人間である。」