■70年代
正月も2日目になるともう正月気分はほぼ抜けて来た。いつもの日常になる。
朝食は、ハムカツを切らしていた。買ったスーパーは開いていないようだ。今回は、チーズトーストになった。キャベツで分かったことがある。一玉98円ぐらいのキャベツと150円ぐらいのキャベツでは、密度が違う。やはり150円ぐらいの方が持ちがいいのでこれからそうしようと決めた。
天気予報は雨か曇りであったので傘を持ってセカンドオフィスに向かう。途中の公園は静まりかえっていた。
いつものコーヒーで暖を取る。本を読んだり考え事をしたりであるが、真の目的は自宅の暖房費の節約である。
昼近くになったので帰宅する。今日は、ラーメンの日であるが、今回も五目あんかけ堅焼きそばにした。おせちも加えた。今年は2段重であった。
実は食後からが本番であった。いつも聞いているFM放送では、70年代プレイバック(1)と出ていた。これは聞かなければならないと、スマホではなく、パソコンで大音量で聞き始めた。
やはりいいねえ。この歌が流行っていたころは、人生に夢があったね。もっといい時代が来ることを期待していた。今この歳になって、残念な気持ちになることが多い。
そして、恐ろしいのは自分がこの時代に流されていると感じることである。魂を売ってしまったのだろうか。まあ、抗う元気もないが。
明日も番組が続くようなのでこの番組に沿って予定を組み立てようと決めた。
まだ、明るいのでセカンドオフィスに向かう。3日連続である。指定席は空いていた。
しかし、お客の出入りは多かったね。初詣帰りの方が入れ替わり立ち替わりで忙しない。
■「私と街たち」(吉本ばなな著、河出書房新社、2022年)を読む。
「息をするように、流れるように。」
「これもしたくないのではない、できないのだ。」
「悲しいことも嬉しいこともただ受け止め、ひたすらこつこつ労働するという~」
「今日は大丈夫なんじゃないかな、という日に限って暴れ出すあたりは、鬱の人の自殺タイミングとちょっと似ている。」
「人は脳の何%しか使ってません」
「ほんとうに役立つ怒り方をしてくれる人の言うことは、一生間違えないように心に刻み込んでいる~」
「~ただ生きて死んでいった~」
「自分の生きたい生き方を探したかったのだ。」
「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲けだ。今日が来るのが嬉しい、目を覚ませるのが嬉しい。」
「自由に生きなさい、今の時代は就職したからって将来が安心とは限らない。」
「~そうして毎日のことを普通にできることが、人生でいちばん大事なこと。」
「~怪しくなってきた記憶がすっかり消える前に、伝えなくてはいけないと思っていることを本気で伝えてくれているんだ~」
「~生きる自由をはばむいちばんのネックは本人のそんな感情だ。」
「~異様なことの面白みは個人の世界にしかない。」
「~街が死ぬときの初期症状としてのギスギスしたあの気配~」
「欲というものは全くもってよくないものだ。」
「ただゆっくりと寂れていくだけだ。」
「自由業というと聞こえはいいが、この仕事にはなんの保証もない。」
「ちゃんと休むためには、ちゃんと働いて、ちゃんと遊ばなくちゃいけない。」
「それに旅の暮らしって、全てを捨ててまでやることじゃないよな~」
「現時点のベストを粛々と探すのがよい。」
「いじくりまわさなければ、生も死もとてもシンプルなのだと。」