社会貢献考

■社会貢献考

 天気予報は明日からの大雪の予報を報じている。今日はいい天気であるが、何回も言われると信じてしまう。そこで、今日の予定は雪対策とした。といっても、車のガソリンを満タンにすることと、灯油タンクを満タンにすることぐらいしかない。

 朝は、いつもの朝食を済まし、車でセカンドオフィスへ向かう。昨日、本が読めなかったので反動が来ているようだ。パソコンも持って店に入るといつもの平日の光景が広がっていた。

 ここでやることは、来期に向けての体勢作りである。政治の世界で言えば、組閣に当たる。どうせ、誰もやりたがらないので、今期と同じにした。屁理屈は、地区長の自分が続投になったのだから、役員も続投でしかるべきというゴリ押しであった。

 少し早いが、帰宅する。明日はゴミ収集日なので、実家の後片付けを少しする。

 昨日フォレスト総会でいろいろ預かってきたのを整理する。これが、一番頭にくる作業である。こっちは、箱ごと渡しているのである。そして使う時は、重いものだから必要な分しか持って行かない。そうして、返却するときは、持って行った必要な分をまとめて箱に入れて終わりである。こうなると、こっちは、一品一品箱を出したり引っ込めたり足をぶつけながらも所定の箱に入れて行かなければならない。これは無駄である。寺子屋が終わった段階で仕舞ってもらえればそのまま積んでおくだけで済む。こんなことも分からないのかねえ。故意なのか!と疑りたくもなる。昨日も、参加連絡をしないで来た人が3名いたが、資料やお茶などを準備する立場になって欲しい。結局足りなかった。これなどは、社会人としての常識の範疇に入ると考えているが、まあ、人それぞれであろうか。まったく、頭にくる作業である。

 結局、必要なことは出来ず、無駄な作業をして嫌になったので部屋に戻ると、回覧板が届いていた。何気なく見ていたら、自分の名前が載っている。

 まあ、無難な内容である。しかし、今後はやらないと言われたので、今年からはないであろう。フォレストリーダーの業務は金銭的には合わないが、それでもやる人がいるというのは、報酬の為ではないと言える。まあ、ひいき目に考えれば、高齢者になって、自分を育ててくれた社会に恩返しをするという意味だろう。それで、自己満足になって精神的に健全な生活が送れるのだろう。いくら賞賛を浴びるのが無料だからだとは分かっているが、感謝されれば悪い気はしない。確かに、これはアリである。最近、何とかファーストとか、自分のことが一番大事という風潮を感じる。自分さえ気持ちよければ、他人をけなしても、半強制的に話を聞かせてもへっちゃらと言う思想というか考えである。軽いね!

 まったく、嫌な時代になったものだ。テレビを付ければ、親殺しや子殺しのニュースが多く、自然災害や自殺者や交通事故が多いという話もあり、暗い世相になっている。昔は、こういう時代を地獄と言っていたものだ。

 昼になったので昼食である。今日は蕎麦である。今回は、カリカリベーコンのようにバラニクが丼をはみ出しているような肉蕎麦にしようと切らないで焼いた。味付けは、焼き肉のタレである。しかし、縮むは縮む。最終的に、店で出されるようなショボい蕎麦になってしまった。ネギは、まあ良かったね。

 今回の失敗は、バラニクが薄すぎたのが原因ではなかろうかと考えている。しかし、あらかじめスライスされているので、厚みの指定は出来ない。まあ、パック半分ほど使えばいいかもしれない。

■「人間は考えるFになる」(土屋賢二×森 博嗣著、講談社、2004年)を読む。(その2)

「でも、なにか残そう。足跡を残そうという気持ちなんでしょうね。」

「趣味は、サボると損した気分になりますよね。」

「趣味が同じ人というのは、けっこう話が合わないものです。」

「仲の悪い相手とは、お互いなるべく近づかないようにしている。」

「役に立つ友達というのはいないです。」

「何も頼らないでも生きていけるような強さ。」

「経済的な独立は精神的独立につながっている~」

「~日本というのは同じ意見じゃないといけないみたいなんです。」

「みんなが同じことをしなきゃいけねいというのは、やっぱり社会が貧しくて~」

「ケータイ~たくさんの複雑な機能をあれだけの少ないボタンでカバーしようという精神が、既に貧しいと思うんですよ」

「~ゆったりと優雅に一人の時間を過ごすのが好きです」