■風に吹かれて
今日は風の強い一日であった。でも、どことなく気持ちがいい。思わず、ボブ・ディランの"How many roads must a man walk down~”が口から出てくる。しかし、自分が知ったのは、PPMのカバーだったと記憶している。全身に風を受けていると思い出すことがある。それは、丹沢山登山である。今頃ではなかったろうか。異次元の気持ちよさだと体に染みついている。
今日の昼は決めていたので楽であった。味噌ラーメンである。
先ずは、手打ち麺の伸ばすも、なかなか伸びない。ゴムのように戻ってしまう。
もう少し薄い方がいいのだが、ここで妥協する。歳を取るとこだわりは危険である。
これを切って揉む。
続いてスープである。鳥ガラ、和風だし、しょうゆ、みそ2種類を入れるが、顆粒だしが溶けやすいように、ひと煮立ちさせた。
野菜はこれまでカット野菜を使っていたが、よく考えれば不経済である。自分には、おカネがないので、今回はキャベツ、ニンジン、ピーマンと冷蔵庫の中のを使う。これにコーンを解凍する。肉は先日半額であったのを使う。
ん~、普通である。ほとんど完成の域であるが、一味トウガラシも入れた方がいいかもしれない。
これの値段を考える。主なモノだけにする。ラーメンは、1kg200円ほどの小麦粉を80g分ほど使っている。肉は50円ほど、野菜は20円ほど、だいたい100円ほどである。昔のワンダラーランチである。これからは、ワンコインランチを目指す。肉を挽肉からバラニクにすれば可能かな。
昼食後は、昼寝をしないで散策に出かける。風に吹かれたいためである。
日陰は最高にいい気持である。この時期になっているタケノコは3m以上になっており、もう終わりかなと考えていると、ヤツはいた。
周回コースを散策して帰路に着く。なんか花でも咲いていないかと見ていたが、ガマズミだけなのでスルーする。サクランボが成っていた。
明日から、積極的に散策に行きたい。今しかない貴重な季節である。
■「ベスト・エッセイ2020」(日本文藝家協会編、光村図書、2020年)を読む。(その1)
「きちんと線路が舟内までつながっているのだ。」
「“ずっとこの場所に来たかった”と感じられる場所があるのではないか。」
「そういうショーケンは毎朝五時から一時間半も歩きつづけている。」
「~人間が自らをコントロールしきれないということが、時々とても怖くなります。」
「~あまりに一面的に外交的態度とコミュニケーション能力ばかりを追い求めると、世の中、隠れた豊かさを失うのではないか。」
「~あらゆる芸術作品は否定から始まるのである。」
「芸術における否定とは、実は深い肯定なのである。」
「死から利益を得るシステムがひたすら蔓延する現代社会~」
「~自分の人生において、そういうものに決着をつける時期が来たことを確認した。」
「そもそも私が小説を書きはじめたきっかけは、生活苦のためである。」
「~博士論文は脚下に次ぐ脚下~」
「書くという行為には癒しの効果があると言われるけど、これは本当に話である。」
「趣味が確固たる思想になった。」
「朝の三時頃にはもう起きて仕事をする。」
「旅、山登りを愛した。」
「僕の絵に対して、僕は命をかけ、僕の理性はその為になかばこわれてしまった。」
「どうせ毎年異常気象なのだから驚かない。」
「親しい人が、亡くなる前に、そんなふうにして会いに来てくれる経験~」
「不安の正体は、どうやら自分の体力の不足とか、気力の衰えとかに対する怯えに発しているらしい。」
「忘れるというのは毎日が新しくなること~」