地区総会

■地区総会

 今日は10時から地区総会を入れた。まあ、たまには顔をぶつけ合いながら議論もいいのではないかということであった。実は、自分はあまり乗り気でなかった。というのは、最終的に地区長がなんかやれということになることが分かっているからである。

 いうのはやさしいが、やるのは凄いエネルギーが必要である。

 まず考えたのは、10時開始ということは、9時ごろには会場設営と暖気が必要だろうということであった。場所は、有料で借りてあり、9時から12時まで使用可能と聞いていた。

 そうすると、どうするか。朝はいつもの時刻に起床し、朝食を作り食べてから朝一に近くのセカンドオフィスへ向かうことにした。

 いつもは、貸し切りが多かったが、今日は日曜日ということで、既に何組か座っていた。パソコンテーブルは空いていた。いい天気である。コーヒーはSサイズなので、早くに無くなってしまう。そのタイミングで店を出る。

 会場に到着する。キチント準備が行われている。一人でテーブルとイスを準備する。

 椅子は参加する分ちょーどにした。ところが、時刻が迫るにつれて、申し込んでいない方が3名来られ、慌てて、机と椅子を補充する。まあ、参加者が増えたことは歓迎である。

 議論は白熱した。こういう団体で難しいのは、会員の会に対する付き合い方が違うということである。これを見極めないと不満が募り行事に出なくなる。例えば、名前だけでいいと考えている会員に、担当者や出前講座をお願いしても無駄であるし、クラフトのスキルを向上させたいと思っていない会員に、ああせ、こうせと言っても無駄である。最終的には、誰かを犠牲にしてしか成り立っていないのである。

 予想通り、活動があまり活発でないのを是正するのが自分の業務だという意見も出た。

 予定では11時には終わって買い物があったが、時間が30分ほど伸びたために、何名かでランチに行こうという話があり、同席することにした。

 皆と別れてから帰宅し、テレビを見る。もう終わる頃に家人が帰宅し、買い物に付き合う。4か所もあったので大変であった。

 その後、自分の買い物もあり、帰宅後は薄暗くなっていた。こころなしか、だんだん日が伸びているような気がする。

 こういう日があってもいいか。

■「人間は考えるFになる」(土屋賢二×森 博嗣著、講談社、2004年)を読む。(その1)

「わざと出張費の桁を間違っておくとか。それを発見すると事務の人も安心して、他のチェックが甘くなる。」

「人間として生きる上で哲学は有益だと思うんです。」

「自分が争わなくても誰かが代わりにやってくれるから、待っていれば良い。」

「学校の先生にだけは、なりたくなたっかなあ。」

「僕は、テレビは見ませんし、新聞も読まない。」

「そう、利益を得ないのが趣味ですから。」

「クルマが壊れても自分では修理できない。」

「成功してないですね。お金使ってるだけですから。」

「外国では、なにか一つのものに秀でていれば、他のものにも通じるのだと~」

「趣味というのはその反対で、部屋は汚くなるし狭くなるし、なんとなく生きづらくなる方向です。」