■しいたけ四分の4
今日は朝からフォレストリーダーの森の寺子屋である。最後のしいたけ植菌になる。
8時前集合から逆残すると7時半には家を出なければならない。幸い、土曜日で家人の送り迎えは子供が行うので、ゆっくり準備できた。
出前講座を行う。この団体は毎年しいたけ植菌を行っているので、2年前以上に作業をして、しいたけが出なかった人に挙手をお願いしたところ3名の手が上がった。そこで、最後に管理方法について補足した。
参加者はもう手慣れたものである。
菌打ちもスムーズに運んでいる。
何と、予定の半分の時間で終了してしまった。来年から開始時刻を1時間遅らすと連絡をもらう。
帰宅後は昼食である。今日は暑いので昨日悩んでいたとろろそばにした。食べ終わって、オレンジがあったのを思い出す。まあ、次回からでいいか。
食後は、タケノコ堀に出かける。親戚に持って行く分を探す。途中、見慣れない花が咲いていた。調べるとシラユキゲシとでる。サンカヨウにも似ているね。
今年は裏年なのか、タケノコの出が悪いと、すれ違った見知らぬ人と話しながら探す。ところが、ある所にはあるのである。一際でかいのをクワで掘ったが、クワが折れてしまった。まあ、直せばいいのであるが・・・・。自分は一本でやめることにしている。山に入って10分ほどである。ところが、戻る途中にもう一本顔を出しており、仕方なく堀った。
この大きな一本は喫茶店に持っていった。分けて食べて頂けると嬉しいね。
タケノコも穂先になっているのが目立つ。そろそろ終わりだろうか。そのために、メンマの準備をしなければならない。ポリバケツは水洗いしたが、中板を作らなければならず、探していると、ますのすしの蓋が見つかった。これでいい!後は、重しである。
今月中にメンマの漬け込みが出来そうである。
今日は、報告書やらメールやらと書くものが多いので、いつものセカンドオフィスでは駄目で、高い店にせざるえを得ない。
とりあえず、一段落であるが、次の第二波も迫っている。
■「優しい地獄」(イリナ・グリゴレ著、亜紀書房、2022年)を読む。
「朝から晩まで懐かしいクルミの木陰で、桜の木に登って、本をむさぼり読んだ。」
「彼らは最後の最後まで、何十年にもわたるパフォーマンスを止めなかったのだ。」
「~社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。」
「あの世にも身体があった。」
「~病気になると世界観が変わる。」
「病気は私の歴史を改めて考えさせる。」
「資本主義では完璧な身体でいることを求められるという感じもした。」
「~権力がある立場になってはじめて人間性が現れる。」
「この世で権力のある立場を永遠に持つことはできない。」
「毎日、行くところもなくひたすら歩くことしかできなかったが~」
「現代とは、客観的にみれば人間の身体に何をしても許される時代なのだと~」
「だるさと疲れと闘う日が続いた。」
「逃げることによって世界をいつでも更新させるのだ。」
「人は見た目で人を判断する」
「感覚で感じたものは、それまでの人生で一番確かだった。」
「家族のために家をゼロから建てた手だ。」
「発酵は気持ちいい。」