■まま
予想通り、昨晩は爆睡であった。テレビ、パソコン、電気も付けたまま眠りについた。その結果、朝は爽やかな目覚めであった。目覚めはいいが、脚が痛い。ここに来てこの痛さは治療が必要な痛さだと認識した。登山の後の疲労とは違う。何かが壊れているような痛さである。しもやけで1年間棒に振り、今度は脚の痛みか。
今日は午後から家人を送るので、朝一に、資料を作ろうと考えていた。そうして、もう30分ほど眠ろうかと思い、起きたら2時間は眠っていた。こういうときは、身体の状態のままにする。午前中にセカンドオフィスへいくことは断念した。
10時になったので、起き上がって、八百屋さんへ行く。だいこんのべったら漬けを作ろうとダイコンを買ってきた。裏のフキも採ってきて一品作ろうとする。
家人が戻ってこないうちに昼食を作る。ちょっと多かったね。少し残す。
家人を送った後、セカンドオフィスへ向かい資料作成、メール処理などを行う。
洗濯物を取り込むために帰宅する。少し買い物をしてなごなる。その後、フォレストの準備作業を少し行う。
その後、聞き逃したFM放送を聞く。どうにかなるさ、のんびりいこう、と懐かしい歌がかかってくれた。予定を確認すると、明日からもいい音楽がかかるようだ。
疲れたときは休む!これは、鉄則である。まあ、のんびりである。
■「日本人は論理的でなくていい」(山本 尚著、産経新聞出版、2020年)を読む。(その2)
「面倒だからこそ心を込めてやる」
「~無駄なことなど、世の中には一切ないと言う。」
「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」
「~この世では、わかっていることより、わからないことの方が多い。」
「現代になって、問題解決だけを学んだ学生は、解答のない問題に対処する訓練がほとんどできていない。」
「本をたくさん読むことは経験をたくさん積むことと同じで、それは後の人生の免疫になることだ」
「そして、人は物にも支配されやすいことに、やっと気がついたのである。」
「雑用とは雑に仕事をするから雑用だ」
「~小さな仕事でも人生最初で最後の覚悟で完成する。」
「どんな人でも普通の人である!」
「従来の物質を作る学問は実は全て偶然に支配されてきた。」
「~20年後や30年後の大学に、数学、物理、化学、生物などの学問領域はなくなるだろうと予想されている。」
「わかることとつくることは英語で“アナリシス(分析)”と“シンセシス(創成)”と言われている。」
「どんどん便利になり、どんどん簡単になるだけで、人は本当に幸せになるのだろうか。」
「~“自分はこれまで幸運に恵まれた”と言った人でないと、採用しなかったそうである。」
「~米国社会には、親が子に多額の遺産を残すことは、結果的にはその子の将来に向けての大きな可能性を摘み取るという考えが根底にある。」