下見

■下見

 天気が心配されたが、今日は参加者5名とともに下見をすることにしていた。

 自分の住んでいる地域は曇りであったが、青少年の家に近づくに従って雨模様となり、霧が濃くて最悪の状態のまま待ち合わせ場所に到着した。

 それでも、約束の時刻が近づくにつれて、霧は晴れて、日差しも見えるようになった。

 5人で指定場所に向かう。そうして、生徒が来たときにどうするかをシュミレーションした。学校の授業の一環なので、間違ったことを伝えるわけにはいかない。図鑑持参での下見になった。最初は、目印の巣箱のかかっている樹木だけにしようかとも考えていたが、質問されて答えられなかったらまずいとなり、目立つ樹木を確認した。

 どっかの団体のように、だた樹木の名前だけをいうことは避けて、最低限特徴や用途なども交えるように、原稿を作って配布することにした。

 平坦とはいえ、小さい上り下りがあり、最後の4カ所目では疲労が出てきた。

 なんだかんだで2時間は歩き回っていたと思う。当日の役割分担も決まり、後は当日を待つのみである。いや、解説の原稿は自分が作らなければならない。

 そして、雨の場合の準備作業も迫ってきた。

 終わった後、都合のつく方同士でランチに向かう。いろいろ駄弁ってから解散である。

 自分は、その足でセカンドオフィスへ向かい、事務作業を行う。

 メールを立ち上げるとまた新しい申請が届いていた。それに数も多い。
 また、会員から電話も入った。うれしい内容であった。今年から積極的に参加したいのでいろいろ教えてほしいという内容であった。

 コーヒーを飲む暇もなく、家人を迎えに行く。

 今日の予定はこれだけではなかった。加入している森林インストラクターのオンライン研修会も開催される。パソコンを新しくしたためにZOOMがインストールされておらず、少し遅れて参加する。カレンダーの裏にマジックで手書きという資料であり、熱意を感じられた。今ならパワーポイントだろうが、昔はこうしていたね。

 さっき終わり、これを書き出した。今日は疲れたね。この後風呂に入って熟睡パターンである。

■「日本人は論理的でなくていい」(山本 尚著、産経新聞出版、2020年)を読む。(その1)

「日本人の民族性は内向型で、感覚型で受け止め、フィーリング型で対処すると言われている。」

「世の中には自分の中に埋もれている素晴らしい“未見の我”に気付かずに埋もらせたままこの世を去っていく人が多い。」

「人に言われることで、この自ら気づくという大切な可能性がなくなり、その結果、その人の短所は決して治りません。」

「どんな人でも長所があり、その気に入らない人の、あなたにとって気に入らない個性は皆さん方の才能を開花させる鍵だと思う。」

「否定することで自らの権威を示そうとしているが~」

「人が発明や発見に至る一番効果的な道は、自分を否定することから始まると言っていい。」

「夢の大きさでその人の器が決まると言ってよい。」

「とてもできるはずはないと他人に嗤われてこそ、本当の志だ」

「考え続けることで、どんなに難しい課題でも数カ月、あるいは数年後には素晴らしい打開案が出て来る可能性がある。」

「慌ただしく人生を生きることで、本当に大切なものを見失うのである。」

「“ぼんやり”というのは、これも大切な考え方である。」

「~外向型の国家は決して謝罪しない。」

「~中国人にとって政府は基本的には敵であり~」

「科学技術は論理的でなければならないと、思い込んでいる人は多いが、それは全く間違った考えである。」

「目の前に宝箱があるのに、気付かずに通り過ぎてゆく人が多い。」

「そして、自然に寄り添い、自然の語る声を聞くことで、セレンディピティを見つける能力が磨かれる。」

「木と話し合うという“木のお医者さん”も日本にしかいない。」

「自然の原理に遡ることで、真理に近づくことができる。」

「~“爾今(じこん)”~“今を大切にしなければならない”~」