■咳

 数日前から咳き込むことが多く、常備薬で対応してきたが、だんだんひどくなっているように感じ、医者へ行くことにした。咳をしても独り。

 朝、家人を職場へ送り届けた足で、医者へ向かう。

 受付で症状を話すと、突然慌ただしくなり、車で待てというではないか。「はぁ?」という感じで車へ戻る。

 うつらうつらしていると、ウインドウを開けろとの指示で、開けると、まっすぐ前を見てという。そうして、綿棒を長くしたのような棒を鼻に突っ込む。突っ込んで、グリグリ。これは苦しいね。そして、理解した。これは、コロナの検査なのである。自分は初めてである。そのまま、連絡があるまで車で待てという。

 ここで、大いに反省することになる。3年前、コロナが日本国内に入った頃、確か4月だったと記憶している。いろいろ調べて、マスクはそんなに効果がないと分かり、しばらく付けなかった。ウイルスの大きさが0.1μmに対してマスクの目開きは、確か10μmぐらいでなかったろうか。100倍も違うので、素通りと判断していた。

 そうこうすると、緊急事態宣言とやらが発出され、不要不急の外出が規制された。自粛という名の実質規制であろう。しかし、高齢者の生活はほとんど、不要不急の事柄で成り立っている。そのため、コロナ前と変わらず、ほぼ毎日外出していた。これが、悪かったのかね。反省である。

 そうしてマスクである。信念を持って付けなかったが、店に入れない事態になったので、やむを得ず付けた。買うのが馬鹿らしいので、布製の自家製マスクでしばらくしのいだ。店に入らない場合は、外して歩いていたが、マスク警察とやらに注意を受ける。面倒なので、マスクを付けた。

 特に、夏場の仕事の時はマスク着用義務があり、毎日マスクをして仕事をしていた。そのため、作業服と一緒にマスクも洗い。3ヶ月で1枚か2枚で済んだ。3年間でどのくらいのマスクを使ったのだろうか。10枚は超えていると思うが20枚程度ではなかろうか。

 そのうち、第何波とやらが次々と押し寄せて、亡くなったりする方も増えている。このころは、ほとんどマスクをしているのにも関わらず、なぜ減ったり、増えたりするのか、統計の考え方からすれば、有意性は乏しいと思うが、黙っていた。

 まあ、マスクをしてない集団の感染率は存在しないので、これを証明するには悪魔の証明になってしまう。マスクを付けていたからこの程度で済んだのだと言われると、反論できないので黙っている。

 しかし、ついに自分にコロナのウイルス君がやってきてくれたのかもしれない。結果が出るまでは非常に長く感じられた。スマホが鳴った。診察室まで来てくれと言う。その結果、コロナの陰性を告げられる。まあ、季節性のアレルギー症状でしょうということであった。やれやれ。

 医者の薬は、というか水薬は即効性がある。服用後は緩和している。

 医者の帰りにスーパーで買い物をして帰宅する。今日は作るのが2つある。一つは、塩麹である。家人が気に入ってくれて、いろいろな食材に応用している。その後は、ミートソースを作ろうと決めた。スマホのレシピを見て、家にない物がなかったからである。

 味は、悪くない。しかし、量が多すぎるので、小分けして冷凍しておいた。

 今日はスパゲッティの日である。自家製ミートソースで食べる。これでも、ソースが多すぎた。

 今日も、満足のいく昼食でぁあった。

 食後は、FM放送放送であるが、ZARDの歌まで聴いてから、フォレストの準備作業である。

 竹のホルダーに穴を空けるのであるが、失敗が多すぎて今日は終わることができなかった。成功率6割ほどである。あ~あ。

 準備してあったホルダーが無くなったので、またホルダーから作らなければならない。

 15時になったので、家人を迎えに行く前に、セカンドオフィスに来ている。

■「岬にて」(乃南アサ著、新潮文庫、2016年)を読む。

「~どうして無理をしてまでお互いの都合をつけて逢わなければならないのか~」

「~娘に言われてひやりとするということは、やはり心のどこかに引っかかるものがあるからではないのか。」

「耕す人のいなくなった段々畑は、石垣も崩れ、やがて雑木林へと戻っていく。」

「~“家族なんだから”という言葉は、もはや俺を脅迫しているようにしか聞こえなかった。」

「でも、残された時間くらい、自分のために使っちゃいけないのかなって」

「一生の仕事というものを、ただ食い扶持を稼ぐための手段としか捉えていない~」

「外で食べるっていったって、値段の割には味は不味いものばっかりで~」