静かな日

■静かな日

 筋肉痛はほとんど癒えたが、生活は乱れてきた。規則正しい生活も豊かな生活の条件に加えていたが、どうも不規則な生活になってきた。

 まずは、身体の疲労がある。この疲労の原因が分からない。老化ならいいが、重い病気が隠れているとそれはそれで気になる。

 一番の元凶は昼寝であろうか。

 今日も予定がないので、朝はゆっくりしていたいところであるが、なんと4時過ぎに目が覚める。今の時期、4時過ぎでも明るい。そこで、シャワーを浴びて扇風機を浴び、二度寝を決め込む。

 まあ、音楽もかけている。

 朝食はいつものメニューにバケット一切れを追加した。梅ジャムを食べるためだけに昨日買ってきたものだ。普通はバケットがあるから梅ジャムを付けて食べようとなるのが多いだろうが、逆である。

 家人を職場に送り届けた後、セカンドオフィスへ入る。コーヒーだけで150円かかった。ここで、フォレストの作業を行う。自分は送ったと考えていた書類が届いていないことが判明し、送り直しである。もう、認知も入ってきているようだ。まあ、最近は何が起こるか分からないので、パソコン持参は必須である。

 ここの店でも、だいぶ居眠りをしていた。少し早いが、昼食の準備で店を出る。

 今日はあまり暑くはないが、蕎麦の日なのでとろろ蕎麦にした。天ぷらも付けた。梅ジャムバケットも2個付けた。朝、家人が梅ジャムを少し食べて、酸っぱいとのたまう。梅に酸っぱさ以外何を求めるのだろうか。自分はこの位でいいのである。

 今日も満足な昼食であった。さすがにパンは時間を置いてから食べた。

 さて、ここからが生活が乱れている原因であろう。昼食の後は、すべての音源を断って昼寝である。20分ほどで起きる時もあるし、2時間ほど眠り込むこともある。今日は14時に目が覚めた。約2時間眠っていた計算になる。

 これから家人を迎えに行かなければならないが、その前に、セカンドオフィスへ向かう。

 今日は、静かな一日であった。やはり老後はこうでなくっちゃいけないな。老後は時間を持て余すようになるとかよく見聞きしていたが、ゆっくりと考え事をすることもいいのではないか。根拠は乏しいが、人間の物理的な筋肉の耐用年数は50歳までという主張がある。それを、まだ若い、まだまだやれる。若いもんには負けないと知らず知らず無理を重ねて、鬼籍へ急ぐ高齢者のなんと多いことか。町内の役員をされていた方が、突然亡くなったと聞いた。山登りが趣味で、声量は大きく、エネルギッシュで活動的な方であった。今の言葉で言えばアグレッシブな人であった。突然亡くなったようで、家族は新聞への死亡公告も出さなかったという。

 やっはり、60歳を越えたらゆっくりとした一日を積み重ねるのがいいようだが、自分にはできるかな。

■「猿声人語」(山際寿一著、青土社、2022年)を読む。(その3)

「地球は今、六度目の大絶滅の時代を迎えつつある。」

「つい最近まで、私たちは確かな物語を共有して生きてきた。」

「形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞く」

「感染源はコウモリということだが、原因は何と森林伐採にある。」

「地球環境問題はことばの最も広い意味における人間の“文化”の問題である」

「~今こそアニミズムに希望を見出す時代である。」

「しかし、人々の信頼関係は時間を節約して自分の利益を上げようとする心からは生まれない。」

「AI時代を迎え、人間の社会は大きな転換期に入ったと私は思う。」

「そもそも“学問の自由”とはいったい何からの自由であるか。それは国家権力からの自由である。」

「生物を知るには個ではなく、全体を見なければならない。」

「自然は常に変化しているし、生物はそれに合わせて動いている。」

「この地球は人間のためだけに作られているのではないし、人間が支配できるものでもないのだ。」