外は雨

■外は雨

 大雨警報だそうだ。昨晩から強い雨が続いている。家人は休みなので車は使えないのでバスで移動することにした。9時からなので朝はゆったりである。

 出る頃には雨は小康状態であった。傘を差してバス停に向かう。交差点を曲がったところでバス停が見えるが、待っている人がいれば直ぐに来ることが予想できる。しかし、今日は、誰もまっておらず、しかし、時刻を確認すると数分後の到着であった。

 ♫バスが 停まって 外は雨が降っている~という雨の情景にぴったりのシチュエーションになった。バスの中の冷房は切ってあるようだ。結構蒸し暑い。

 特に急用はないが、不急の外出である。この店にしか売っていない商品を買うために来ている。店の関係上、高級コーヒーショップに入ることになった。350円か!

 まあ、仕方がない。年に数回なら我慢の範囲だろう。いつものことではあるが、店の開店まで過すことになるが、飲み残しが必ずある。今日は三分の一ほど廃棄する。別にコーヒーが好きで来ている訳ではないので、気にもしない。

 店を出て、買い物へ向かう。しかし、数が少ない。店の人に聞くと、取り扱いをやめるという。自分が購入したのが最後の商品であった。家族には通販で買ってもらおう。

 帰りもバスである。相変わらず、外は雨である。これでは、何にもできないなあ。

 大いに休んで昼食の準備をする。今日は、スパゲッティの日である。冷凍の具材が溜まっており処分しなければならない。今日は、ミートソースにする。これで、在庫はなくなった。

 このミートソースは、絶品であった。店のとほぼ同じ味である。肉も多い。今日で、ヨシナの昆布締めも無くなった。添えるものを検討しなけれなならない。記憶をたどって見ると、ショウガの甘酢漬けやミョウガの甘酢漬けを思い出す。ミョウガも確認に行かなければならないね。

 食後は、昼寝である。今日は気温が低く、扇風機で十分である。少し寝過ぎたようだ。家人より図書館へ送って欲しいと聞くまでは寝ていたかもしれない。寝ても寝ても寝ていられる。外は雨が降っている。

■「自分流」(辻 仁成著、光文社、2023年)を読む。(その1)

「上手な生き方を発見したとしても、その人生が豊かになるかわからない。」

「悩んでいるとき、人間は必ず成長している。迷っているとき、人間はちょっと停滞している」

「生きることには必ずソリューションがある」

「まだ、まだだ、まだ起き上がるな。ゆっくりと、しかし確実に起き上がることが大事だ。」

「ともかく、苦手なもの、ストレスを与えてくるものは視界から消してしまえばいい。」

「人間は頂点に立つと、自分もひとりの人間であることを忘れる生き物なのだなあ。」

「~権力やお金があるだけで人を人と思わず、力で弱いものを支配しようとする人間もまた、いつか滅びるのである。」

「人間関係全般にいえることだが、礼儀がない者に礼を尽くす必要はない。」

「人間というのは基本、まじめにできている。」

「”ガンバルモンカ“は、”頑張らない“ということじゃなく、必要以上に頑張りすぎないということであり~」

「不安というのは、自分が勝手につくり出した幻想だったりする。」

「愚痴は邪気のようなものであり、弱音は自分の真の姿なのである。」

「自分の弱さを知っている人は強い。」

「まじめというのは“元気なときにしかやっちゃいけない運動”だと覚えておこう。」

「人間、できることには限界がある」

「言葉には言霊が宿っている。」

「悪い言葉を吐き続ける人の心に、邪気が堆積していく。」