■走馬灯16
ぜんちの人生は幸せでした。
■「豊かさとは何か」(暉峻淑子著、岩波新書、1989年)を読む。(その1)
「~金をためることだけを人生や社会の唯一の目的にしている、と笑われたりしても~」
「命にとっては、哲学よりも、モノとカネが大事であることは、敗戦国民の、体験から生じた必然的合意であった。」
「~強迫神経症のように、はてしない飢餓感に追われる日本人は、もっともっとカネをためつづけているのではないかと~」
「しかし、人間の生活にとってカネとモノは、本来、生活に必要なだけあればよいのである。」
「~彼にとっての家庭は、ただ、寝に帰るところである。」
「効率競争社会が~自然とともに生きる人間の生き方について、考える時間を奪い去ってしまったのである。」
「効率を競う社会の制度は~自分を守る力はカネだけになる。」
「~人間の能力は、経済価値をふやすか否か、で判定され~」
「自然環境の保護とか、福祉社会とかは、経済価値を減らし、怠け者をつくり出し、日本を先進国病にする。」
「豊かさに憧れた日本は、豊かさへの道を踏みまちがえたのだ。」
「老人のためにカネを使うのは枯木に水をやるようなもの」
「日本は治安は良いが、基本的なところで安心のない国だからである。」
「静けさの価値を守るために、そこでは人びとは、ごく自然に経済の価値を無視している。」
「散歩の招待」
「~豊かさとは、創造的で自由な生き方ができることであり~」
「西ドイツの学生は知識の量よりも考え方を重要視しているように思う。」