■走馬灯63
ぜんちの人生は幸せでした。
■「目で見るものと心で見るもの」(谷川俊太郎他、草思社、1999年)を読む。(その1)
「~便利、快適、新しい~もはやこの速度に対応できないというのが私たちの正直な感想~」
「~目に見える検査値が正常値の範囲内ならその人ははたして健康といいきれるのだろうか。」
「要するにもともと持っていなければ、奪われることもなく、不便や不自由を感じることもないわけです。」
「ですから便利の“便”には、やはり“本物ではない”、“仮の一時的なもの”という考え方がある。」
「進歩に支配されないように、何のため、誰のための便利かを問うことが大事なんですね。」
「便利さを利用して怠けるとか、人生の近道ばかり探しているのは問題です。」
「~便利さのおかげで体力だけでなく、思考力まで鈍ってしまう危険があるということです。」
「~瞑想するなり、何か思考力を研ぎ澄ましていく努力をしなければならない。」
「~ドイツ人はサービスに対してお金をはらうことを極端に惜しむからである。」
「私たちは“便利”と引き換えに、充実感を失ってしまったのだ。こうなると“便利”はもう美徳でも何でもない。」
「ワープロなどという不便なものを、私はいまだに使ったことがない。」
「~“コンビニエンスストア”。どこが便利なのだろう。」
「失って初めてわかるもの。それが必要な便利さということだろうか。」
「~便利になると“何が”よくなるというのか~」
「忙しがって、競い合って、慌ただしく過ごして、わけもわからずに死んで終わる人生。」