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■下暗し
半世紀以上も住んでいて、最近気付いたことがある。
見ているようで見ていないもんだなあと、幾分自嘲ぎみになる。
喫茶店である。
少し前まで、徒歩5分ほどの場所に喫茶店が開店した。値段はかなり高かったが、近いというのが通う動機になった。徒歩なので雨がひどい時用の店にしていた。もう閉店し、別の店になっている。
これから、雨の日は、もう少し先の病院の中のコーヒーショップしかないと諦めていた。
ところが、あったのである。先の潰れた喫茶店より近い。同じ町内なのだ。記憶をたどれば、一度入ったこともあった。10年、20年前ではなく、もっと前かもしれない。
ここなら、数分の距離である。盲点であった。
雨の日に入って見よう。値段は、高いだろうが、毎日ではないので許容範囲と考えよう。
毎回前を通って確認している。
曇りであったがランプが回っていたので入って見た。
営業は、8時から正午まで、日曜日休みということであった。
どこも同じであるが、常連さんがたむろしておりうるさい。
コーヒーは、鍋で加熱して350円。
条件的には、まあまあであるが、妥協出来ないことがある。それは、喫煙可ということであった。久しぶりの煙と匂いであった。
今日で最後になる。
■「自分流」(辻 仁成著、光文社、2023年)を読む。(その3)
「過剰な自信ばかりが先立ち、その自信を裏づける訓練を怠っていたのだ。」
「まわりと自分を比較することは、もっとも愚かな行為である。」
「いつか死ぬのに、ずっと誰かと比較していてもしょうがないじゃないか。」
「まずは焦らないために、自分の足腰を鍛える着実な訓練は必要となる。」
「因果応報、放っておいても、悪口を言っている人々は自滅していくだろう。」
「明らかにいえることは、健康的な精神こそが、最強の肉体をつくるうえでいちばんの土台となる。」
「健康はまず、健康な精神に宿るのだ。」
「一生は一度しかない、自信を喪失している暇などない。」
「とりあえず気になるならやってみる、という人生を実践してきた。」
「~じつは潮時の本当の意味は、やめるのに“ちょうどいいとき”ということなのだ。」
「無為自然~あまり無理をしないで、自然の流れに身をまかせて生きる」
「老子は、からっぽであることが大事だと説いた。満ちている状態になってしまうと、得られるものが限られる。」
「知足者富」
「~そもそも、生きるためにそんなに多くは必要ない~」
「自分の料理の腕を上げていけば、材料費だけで、普通のレストランで食べるくらいの味はだすことができる。」
「日々をていねいに生きる」