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■違和感
この年まで生きていると、驚くことが多い。驚くというより、諦め、不思議、不愉快が入り交じった感覚である。
おそらく、この感覚が時代に取り残された感なのだろう。
まず、モノの値段が高過ぎる。
この国の食料自給率は、38%ぐらいだったと記憶しており、輸入に頼らざるを得ないので、円安局面では、高くなる。このことは、理解しており、値段が上がっても仕方がないと考えている。
ところが、為替は変動するモノであり、過去の状態を思い出して見ると、円高局面になっても、価格は、下がらない。特に、コーヒーの値段は、■■■ともとも思える。
そして、この価格がべースになり、円安になると、さらなる値上げとなるのである。
まあ、こうした考えが、時代錯誤というか、時代に付いていってないと言われる所以なのだろう。
最近の外食の値段にも違和感を感じる。
これから、廃業する外食店は、増えるだろうと見ている。
NHKのアナウンサーが茶道を「ちゃどう」と発音していた。辞書を調べると正しい読み方のようだ。
自分の世代は、「さどう」と習ったと記憶している
他にないか、注意して聞いていると、音色のことを「おんしょく」と発音していた。これも「ねいろ」と学んだように思う。
そして、違和感の強いのは、ペットボトルの塩ビ包装の除去を、なけなしのお金をはたいて購入した客に負担させるシステムである。確か、筒状の塩ビ包装に200℃ほどの熱を掛ければ、ピッタリとペットボトルに張り付くのでは、なかったか。まだ、これを解決する技術もクリヤー出来ていない、脆弱な技術しかないのか!
ミシン目を入れて見たり、剥がしやすい工夫をしたりしているが、本質的な解決ではないだろう。
こんなしょぼい技術力しかないのか、お金が掛かって製品価格が上がることにしてやる気がないのか。
そして、もう笑うしかないが、分別することが、環境意識が高い人と見られるらしい。■■■■■■■。分別負担は、それで恩恵を受ける業者が行えばいいのだろうに。
もう一つ。地球温暖化の■■■■をするのが自家用車で乗り付け、二酸化炭素は、良くないので減らす生活をしようと言っても、説得力は、ないね。
先頃、面白い光景を目にした。dustボックスは、紙類とプラスチック類と別れていた。スタッフが交換に来て、プラスチック類の中身を紙類の袋に入れて持ち去った。世の中、こんなもんよ。
■「人生の醍醐味を落語で味わう」(童門冬二著、PHP新書、2009年)を読む。
「非常時に役立つのは“非常の人”です。」
「野は遺賢だらけ」
「自分さえ良ければいい」
「老人であることを忘れ、柄にもないことばかりいったりやったりしている」
「死んだ人のお葬式は、死んだ人のためではなく生きている人間の見栄で行うものだ」
「ウソをあくまでも真実として貫き通す」
「社会には、ウソのほうが真実以上に真実性がある場合がある」
「人間には必ず自分だけの三畳間が必要だ」
「一生懸命はいうまでもなく“一所懸命”が正しい語源です。」
「消耗品~“しょうもうひん”は誤った読み方で、正しくは“しょうこうひん”です。」
「悲しいからこそ他人を笑わせることができるのです。」