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■見てない
考えようによっては恐ろしい話である。先日、車を運転していたら、T字路での自分の一旦停止無視により、右から来た車と衝突しそうになった。
自分では、確認していたと思われる。しかし、見てないのである。
いよいよ認知機能が低下しだしたか。幸い、自家用車がなくても生活は出来るので、免許を返納すれば済む。
おそらく、多くの人の免許返納のタイミングは、大きな事故がきっかけになっていると考えている。
気にし出すと、似たようなことが増えて来たように思う。
一方で、見たくないという場合もある。ちょっとした知り合いであるが、近付きたくない奴である。先日、ファーストフード店で遭遇した。この場合は、目が泳ぐ。つまり、見てないのである。
寒くなったので、首や耳を寒さから守るためにフードを被るようになった。しかし、このフードは、大きく目まで覆ってしまう。
この状態で歩いていると、危険な目にも遭う。自動車である。ハイブリッド車なのでエンジン音がなく、スレスレを通る。
なんか、電気自動車を推し進める政策のようであるが、自分では間違っていると考えているのでやめてもらいたい。
歩いていて怖いのは、電動車椅子である、2回ほどもう少しで足の甲をひかれそうになった。これに、近い乗り物も解禁されるようだが、歩道を通るのは止めてもらいたい。
だいたい、大きな事故が起きてから対策するという幼稚なことを繰り返している。再発防止などに努めても失ったモノは、戻らない。
■「くたかけ」(小池昌代著、鳥影社、2023年)を読む。(その2)
「いずれにしても、人は死んだら、人の記憶のなかで、かくも自在に生きはじめる。」
「鳥の声で始まる一日―――何がどうあろうと、それもまた、素晴らしい人生ではないか。」
「人間がいなくなった家の荒廃ぶりには驚くばかりである。」
「高齢者の孤独って、精神ばかりでなく、肉体をむしばむんだから。」
「人間は時に、そうして人や物を簡単に捨てる。」
「とにかく、医者は全くあてにならなかった。」
「新しい言葉は、みんな英語をそのまま使う時代になってしまいました。」
「~人間の世界には、余生という、双方持て余すような、不思議な時間があった。」
「すべて人にあわせ、人に添い、人を傷つけぬよう、最大限の努力を払って、自分を曲げて、頭を低くして生きなくてもいいーーー。」
「まったく無駄に長生きしてる。やること、ないんですから。」
「安い卵を食べても、命に別状はない。」
「今必要なのは変化だ~」
「物事が変わるとき、変化のきざしは、そのずっと前から、すでに起きているのだろう。」
「生きるためにはね・・・ひとはできることはなんでもするわ。」
「本来、人は植物が枯れるように自然に逝ける。」
「~人の最期こそ、自分の能力を発揮できる最高のチャンスと考えたのだろう。」
「もうすぐ死ぬ人は強い。」
「人間も、“管”なのだ。」