山がきれいな日

「自分の始末」(曽野綾子著、扶桑社、2010年)を読む。
 作者のこれまでの作品の中で「死」に関係する文章のエッセンスを列挙してある。中には読んだ本も含まれていたが、こういう風にまとめられる、なるほどと思う。本はしみじみ読まなければならないとつくづく思う。この本は宗教じみたところがなく、達観されているようにも感じた。ここまでの境地に行きつくまでの努力に敬意を表したい。

山がきれいな日
 今日の北アルプスは綺麗だった。白い雪に覆われた稜線が太陽の光に販社して輝いていた。こんな日に山へ入るといいだろうなあ。明日も晴れそうである。
しかし、今週は体調が今一つすぐれないので山へは行かないことにする。どこか歩いているだろうなあ。
 帰宅するとクラス会の案内が届いていた。あれほどまとまりのなかったクラスだと思っていたが毎年開いている。自分はここ10年ほど前から参加し始めた。
もう役職定年の年齢である。話題は、定年、老後、介護、病気などが中心だろうか。ああ、いやだねえ。こっちは、73歳の人から青春を楽しんでくださいというメールをもらって気を良くしているのにぶち壊しになるまいか。
 今回は温泉一泊である。しばらく考えてみようか。
 明日は早起きしなくてもいいので、今晩は気が済むまで本を読みたい。しかし
音の出ないテレビと蛍光灯とパソコンの電源を入れたまま、眠ってしまうにちがいない。これもまたいいもんだ。