恨み節

■「個人備蓄の時代」(副島隆彦著、光文社、2012年)を読む。
 まさに目から鱗である。自分が6年前から考え続けていることが、全て載っている。驚きと感動があった。著者は年齢は自分より若いが既に実践している。見習うところが多かった。
太陽光発電を自分の家の屋根に備え付けて使い、自力で電力を確保する。ソーラーオアネルで作り出した電力を大容量の蓄電池に蓄える。そして、食糧を自分で食べる分だけ作り、零下60℃の超低温冷凍庫で食糧の長期保存を実現する。」
「国内の内陸部の農業地帯や放置された分譲別荘地で個人備蓄をすること」
「非常用発電機は最も手軽な備蓄品だ」EVで代行させようと思うがまだ高い。
「100年保つ、ヒエ、アワ、キビを備蓄した江戸農民の知恵を学べ」
「生き残る者は餓死者の遺体を切って食べ、あるいはそれを草葉と混ぜ、犬肉といって売る者までいる」これは、天明の大飢饉の時に杉田玄白が記している。
「何年でも保存が効くのは仕込み味噌である」
「冷凍庫こそは個人備蓄の切り札である」この本で、冷凍食品を見直した。
アメリカのリバータリアニズムの骨格は自分で生きよ、政府なんかに頼るな、である。」
「企業や金持ちから税を取って、政府が代わりに福祉をやります、という現在の腐った考えと真っ向から対決する。」
「まず、りんごの木を植える」
 山里の古い農家を購入し、晴耕雨読を真剣に考えた時機があった。しかし、調べれば調べるほど難しいことがわかった。最低限の生活も難しいことが分かり、諦めていたが、この本で再び再燃してしまった。

■恨み節
産経ニュースからの引用である。
「下請け業者は、よほど部品を安く買いたたかれたり、無理な納期を強いられたりしたようだ。その恨み骨髄で、聞き取り調査に対して「商売だから付き合ってきたが、(経営危機に陥った今)積極的に取引したいとは思わない」「正直言って、ザマミロ」といった、下請け業者の声にならない声が方々で噴出した。調査会社によると「こうした声は驚くほど多かった」。
利益や成長を追い求めた結果、いざというときに誰も助け舟を出してくれないどころか、敵に回りかねない経済合理性とは何だろうか。クビを切った社員が中国企業や韓国企業にさらわれて技術がダダ漏れになり、自らの首を絞めてしまうのと通じている。」