スマートフォンの時代は終わる

■「『いつ死んでもいい』老い方」(外山滋比古著、講談社、2011年)を読む。
 この人の本は何冊か読んでいるので、似たような話があった(ようだ)。ひょっとして一度読んでいたかもしれないが、どうでもいいことだ。この様な事を避ける意味で新刊書を中心に借りている。
「美田も残せないが、借金も残さない。寝付いて周りに迷惑を掛けない。それだけで自分の人生は充分である。」
「うるさいところでは集中力は高まらない、などということはない。」
「私は生命保険が好きになれない。この年になるまで、保険にはひとつも入っていない。」
「大仕事を成し遂げたあとに、おそろしい反動がくるのを荷降ろし症候群だという。」
「NHKテレビに『小さな旅』がある。〜万障繰り合わせて見る様にしている。」
「一時間ほど歩いて帰ってくるころの気分は爽快で、新しいアイディアの得られた日は文字通り、グッドモーニンウである。」
「年をとって好きなものを断つのは危険である。」
「寝不足がもっとも大きな健康の敵である。」
「才能のあるのは文学青年にきまっていた。文才の乏しいのが哲学青年なり、さらに記憶しか自信ないのが、法科、理科、工科を志した。」
「生活を文学にした内田百輭が、『何でも知っているバカがいる』と言ったのもおもしろい。」
「年をとったら、まわりにホメてくれる人が欲しい。」

スマートフォンの時代は終わる
日経ビジネスからの抜粋である。
スマホブームは一時的なものだと思います。本来、ネット端末は消費者に持っていることを意識させてはいけないのに、今のスマホはCPU(中央演算処理置)がどんどん高機能化して、1日で電池を使い切ってしまうようになっています。これは端末メーカーの発想が古いままで、クラウド側で十分な情報を処理できないことに原因があるのではないでしょうか。
 一般には、スマホの高機能化がこれからも続くように思われているかもしれませんが、これは端末メーカーにとって都合のいい進化、願望に過ぎません。そもそも、数100グラムもの重さがあって、すぐに電池を消耗する現在のスマホタブレットを何台も持ち歩くのはわずらわしくはありせんか。私は理想のネット端末とは言えないと思います。」