僕は人生の宿題を果たす旅

■「変」(莫 言著、明石書店、2013年)を読む。
 中国の作家の翻訳である。初めてではなかろうか。カタカナ名の固有名詞も閉口するが読めない漢字も閉口である。ところどころ、訳者の注記があったが、お国事情が分からずである。筋は何となくわかった。著者の幼年期の自伝のようなものである。これは、良かった。最後の訳者後書きで、昨年のノーベル賞作家の本であった。

■僕は人生の宿題を果たす旅
週間ダイヤモンドからの抜粋である。
「一年ほど前から、職場の雰囲気が悪くなっていた。上司との間にできた溝は、深まるばかり。
なにが悪かったのかを特定するのは難しいが、かつて互いに抱いていた好意や信頼は徐々に消えていった。このままいけば、上司が僕をクビにするか、僕が辞めなければならなくなるか、どちらかのような気がした。
それを認めるのは難しかった。仕事が好きだったし、定年までこの職場で働くつもりでいたからだ。
次の朝、出勤した途端、重役のひとりに、もうきみの席はないから、と言われた。会話はすぐに終わったし、廊下での出来事だったので、ただの冗談だと思った。しかし、冗談ではなかった。解雇されたのだ。
僕は仕事中毒だった。そのせいで、家族をずいぶん犠牲にした。
仕事のしすぎは遺伝である。父も仕事中毒で、祖父も、曾祖父もそうだった。曾祖父は、リトアニアの農夫で、朝三時に起きて、畑を耕しに出かけたそうだ。
一生懸命働くことが重んじられる世界で、クラヴィッツ一族は誰よりも熱心に働いた。もちろん、一族の男性のほとんどは、六十代前半に心臓発作を起こして死んだ。
毎朝、上司よりも早く出勤し、昼休みも働く必要があった。週末も、祭日も、休暇も返上し、常に連絡が取れるようでなければならなかったのだ。
リストラされて以来、僕はそうしたことを考えた。これまで仕事に打ち込むあまりに多くのものを失ったことに思い至った。そのため、新しい仕事を見つけるのにあまり乗り気になれなかった。」