高齢労働者の悲惨

■「選ぶ力」(五木寛之著、文藝春秋、2012年)を読む。
 珍しく新書であった。
「最近、ガンの発生原因に関して、ストレス説を説く専門家が多い。」
「どんなにくだらない本でも、一か所ぐらいは傾聴に値する〜、真理はガラクタの中にある。」
「トイレに座るときも、食事の時も、人と話をしているときも、本のページを開いている。」
「それぞれちゃんとした肩書をもつ専門家が、まったく反対の事を言う。」
「専門家、科学者に対する圧倒的な不信感が津波のように人々の心をおそったことである。」
「ひとくちにガンといっても〜、いじらず、叩かず、そっとしておいたほうがいいのではないか」
「よく運動して短命な人もいる」
「むやみやたらと歩くことをすすめる健康法というのは、いまや古いのではあるまいか。」
「どんな非常時にも値打ちの変わらないものは何か。語学か。資格か。人脈か。そこで浮かんでくるのが健康という幻想です。」
空海という人は、死期を悟ってからはずいぶん長い時間をかけて五穀を断ち、最後は水を制限して入定したといわれています。」
「趣味は養生」
「自然の死というものは苦しくない」
「人間には安らかに死ぬための仕組みが本来、備わっている。」

■高齢労働者の悲惨
あるブログからの引用である。
「例えば以前なら、60歳以上の人の場合、収入よりもとにかく家に居たくない、あるいはやりがいを感じて生きていたいという理由で派遣労働を希望される人が多かった。ところが、最近は違います。とにかく生活ができない。生きていくために働かざるを得ないという人たちが、藁をも掴む思いで派遣会社の門をたたく。
ただ、高齢者でそれなりのスキルがあれば別ですが、そうでもない人の場合、そもそも紹介できる案件すらないのが実情です。それでも、何とかして欲しい!助けて欲しい。明日から生きていけないと、すがるような思いで、なかなか席を立とうとしない。我々としてはどうすることもできないのですが、彼らはその後どうなったのか・・・」
そうした高齢者が派遣会社にたどり着くまでには、当然ながら求人メディアに目を通し、ハローワークで正社員の口を探している。
だが、彼らが紹介を受けられる求人そのものが少なく、いよいよ生活困窮で悩んだ挙句に、いままで自分のような高齢者には縁がないと思っていた人材派遣という働き方に、最後の望みを託そうとする。
「正直、年功序列、終身雇用が当たり前のような環境で生きてきた高齢者は、そもそも職務経歴書の書き方すら、満足にできない人も多い。残念ながら、派遣先に気に入られるような人はそんなに多くはないのです。ハローワークでは相手にされない。派遣でも難しい。プライドだけは一人前の失業中の高齢者。そんな人たちがどんどん日本国内で増殖している。
アベノミクスはそういう人たちをどうするのか?65歳までの定年延長で、その役目を企業に押し付けてシャンシャンのつもりでしょうが、当の企業はそれを嫌って、60歳手前での首切りを強行している。行き場を失った高齢者。貯金があればまだいい。そうでなければ・・・考えただけでも恐ろしい社会しか思い浮かびません」