アラウンド定年(1)

■「それでも、日本が一人勝ち」(日下公人増田悦佐著、WAC,2012年)を読む。
 何か感じながら読み始めた。10分ほど読んで分かった。この本は一度読んでいる。
しかし、せっかくなので、全部拾い読みした。なかなか、読んで本が覚えられない。これを防止するには、常に新刊を読むに限るな。

■アラウンド定年(1)
週間ダイヤモンドからの抜粋である。
会社の中の50代社員の評価は概して低い。
「給与の割に働いていないよね」
「上のご機嫌取ってるだけで、何も自分で決めないよね」
こんな話はどこの会社の若手社員からも聞かれる。昨今のメディアの特集などでも「会社の濡れ落ち葉」にならない方法とか、「お荷物社員は50代」といった形で取り上げられることが増えた。
もしかしたら、「俺は会社に貢献している」と思い込んでいること自体が本人の思い過ごしで、過去の立場や評価を意識の片隅に残したまま、現在の環境下で期待される態度や行動の自覚がない50代社員も多いのではないだろうか?
50代社員に対する少々の悪評を、積極的に解釈するなら、それは、まだまだ期待したいことはいっぱいあるのに、現実の50代社員はそのように見えない、「期待ギャップ」を表しているともいえる。また、消極的に解釈するなら、性能の落ちた中古車のような50代社員を一体、この先どのように扱えばよいかというちょっと「深刻な人事課題」ともいえる。
50代社員が思っているほど、人事担当者は彼らを評価していないことがわかる。50代社員自身は、意外と自己完結的な狭い範囲でうまくいっていると感じているが、もっと社内上下・横断的な働きを期待する人事担当者からすると、彼らはコミュニケーションや人間関係のパイプや築き方も狭い、と映っているのだろう。
50代社員は見かけ上、元気にやっていても、その内心は(1)の定年までのモチベーション維持は低下傾向にあり、また、(2)の組織適応能力の点では会社での自己通用性も過大評価傾向が出ている。さらに(3)の専門性の保持活用の点では、現職延長での専門性活用ならばなんとかなるが、他の仕事となると危うくなる、ことが読み取れる。
気を付けたいのはこのことを当の50代社員自身は、日々の仕事を一生懸命やっているつもりであり、このことをさして問題とも思っていないということだ。この思い違いを誰が気づかせるのか。
*どこで何をしてるかよくわからない。行先や要件、居場所をわかるようにしてほしい。
*給与が高いんだから、最低、自分の人件費分の責任は果たしてほしい。組織のお荷物にならないで。
*商談で同行する前にあれこれ資料の追加や確認や質問しないでほしい。
*客先での昔話、自分の成功話を長々話すのはやめてほしい。
*若手に教えるときは精神論は短く、方法や要領をわかりやすく教えてほしい。
*相談しやすい、もっと話しかけやすい雰囲気を醸してほしい。
*女子社員を「ちゃん」付けで呼ぶのはやめてほしい。
*あとはまかせた、で自分だけ早帰りはありえない。
*リーダーからフォロワーへの立場と意識の切り替えをやってほしい。
*自己判断できることでも、上司への報告・連絡・相談をキチンとしてほしい。
*忠誠より貢献。会社に依存せず、自分の給与分以上の働きはしてほしい。
*管理職任期がまだ残っているのに、退職OBのような仕事ぶりにならないでほしい。
*本来自分がやるべき仕事なのに、人に振らないでほしい。
*自慢話は程々に、新しい知識や技術などは若手や部下からもきちんと学んでほしい。
*部下育成・技能・人脈の伝承をきちんとやってほしい。
*組織の中で完成した大人の仕事人として存在感を示してほしい
50代社員の心の内をたどると、会社の期待の中核に位置していた30代・40代の立場が終わり、役職定年・再雇用を迎える50代の新しい役割変化の中で、これまでのような積極的な期待とは違う目標、モチベーション、仕事能力の発揮が求められる。それは、本人にとって望ましくもうれしくもない現実の訪れだ。周囲がみて、なんだか怠けているように見える諸現象は、組織内の役割変化に適応を続ける上で、「少しはオレのこともわかってくれよ」のきしみの声ともとれる。

■山の会
 久しぶりに山のメンバーが集まって一杯飲んだ。名目は忘年会の山行きを決めるためと、来月県外にいってしまうメンバーの送別会なのだが、やはり同じテーマを持つ者同士の語らいは気が安らぐ。最近、イベントがたたなくなりメンバーでの行動が少なくなった。自分自身で言えば、今年から百名山に照準を合わせているので予定が合わないのがある。他の人も呼んでよということで声だけでも掛けようかと思っている。