企業の不祥事

■「僕の死に方」(金子哲雄著、小学館、2012年)を読む。
 涙無くして読み進めなかった。しかし、立派なクローズである。
「未来があることが当然である人達からの働きかけに、明日死ぬかもしれない自分はどう応えたらいいのか。」
「お釈迦様は、すべてのことを語り尽くしてから、亡くなられたんですよ。」
「医者から匙を投げられ、死を待つのみの人生。」
「約1000社に資料請求し、約300社の面接を受けた。」
「相手の『喜ぶこと』を見つけ出し、そこに応えてあげれば、それが回り回ってビジネスに結び付く。」
「息抜く力 生き抜く力」
「スーパーは『大衆が喜ぶ情報』の宝庫なのだ。」
大岡昇平の小説『野火』・・・・・戻れる可能性のない人―――つまり戦力外の者は治療しない。」
真言宗の総本山にある高野山大学大学院の通信教育課程の願書を取り寄せた。」
「ネガティブな思考は、それだけで生気を吸い取ってしまう。」
「私を救ってくれたのは、医療技術の前にまず先生の『人柄』だったと思う。」
「気持ちばかり焦るが、しかし体は言うことを聞かない。」
「自分が、名のある大病院を選ばなかったのは正しい選択だった。」
「がん患者がいたら、『好きにしたらいいよ』と温かく声をかけてほしい。」
「今日一日、この瞬間、瞬間を重ねて生きるという生き方に変えなくてはいけない。」
「一個一個ブレイカーが落ちる様に死んでいく。苦しまないのは太鼓判を押す〜」
「〜生きることと死ぬことって、やっぱり同じだよな。」

■企業の不祥事
日経ビジネスからの抜粋である。
 「不祥事が起きると企業は存続の危機に立たされることになる。信頼は一瞬にして失われ、一度失った信頼を取り戻すのは、実に難しい。
 そこで、企業の不祥事が問題になる度に、スポットを浴びるのが、「誠実な経営(Integrity Management)」である。
 誠実な経営が日本で最も注目を浴びたのは、1990年代に入ってから。雪印の食中毒事件、三菱自動車のリコール隠ぺい事件、姉歯事件とも言われた耐震偽装疑惑……。それらの不祥事をきっかけに、CSR(企業の社会的責任)が問われ始め、コンプライアンス遵守が企業の生命線とばかりに注目されるようになった。
 そのCSRの中核に存在するのが、「誠実な経営」である。「コンプライアンス法令遵守)した上で、自社の理念・価値観によって物事を判断し行動する企業」――これが一般的に使われる誠実な企業の定義である。
 企業が経営・活動を行う上で、法令や各種規則などのルール、さらには社会的規範などを守り、コンプライアンスを果たすのは社会の一員である企業としての義務として教育をする。そして、単に法令遵守をするだけでなく、理想や理念・価値観という、より高い次元での経営をし、その価値観を社員と共有できたときに、誠実な企業になるのだと。」