散歩

■散歩 
 昨日の天気予報は上々で、立山山麓スノーシュー登山へ行って帰りにふるさとでラーメンという計画にしていた。ゆっくり6時代の電車で行き、少し雪山を歩き、昼過ぎに戻れば少しは汗もかこうというもの。
 朝起きて、窓が明るいのに気が付き慌てて起きたが、8時半を廻っていた。やはり、疲れが溜まっていたのだろう。週初めに22時過ぎまで仕事をしたため、リズムが狂いいままで尾を引いているらしい。昔は、午前様を何年も続けてもこんなことは無かった。年齢を自覚しなければならない。
 外へ出た。宛てはなかった。家人は休みで自家用車は空いている。この便利で快適な暮らしを実現してくれる自家用車。便利で快適な生活の先には、死ぬまで寝たきりの生活が待っていると気が付いたのが40代であった。意志薄弱な自分にできることは、マイカーを放棄することであった。とんでもない生活になると覚悟していたが、結果ほとんど影響がない。昭和30年代は車がなくても生活できていたわけだから、さもありなん。
 しかし、この決断時期は遅すぎたようだ。特に、今日のような体調が悪い時にどの程度あるけるだろう。北は、岩瀬浜までは行けるだろう、西は高岡までと行きたいが、せいぜい小杉位までだろう、東は、滑川ぐらいまでは行きたいが、プラント3の場所ぐらいか、南は神通峡まで何回か行っているが、大沢野程度であろう。なぜ自家用車をもっと早く手放さなかったかと後悔後悔である。
 今日は、まるで春のような陽気であり、自家用車ではもったいないので、歩く。ある雑誌にカレーウドンが紹介してあり、2時間ほど遠回りして11時半ごろに着く。
 お腹が減っており、大盛りを注文したが、家はご飯が付いていますといわれたので、普通サイズにした。
 カレーウドンは、味噌汁のお椀で出て来た。味はマイルドであった。

 失意のどん底で公園に行く。人工林なのだが、自宅から歩いて30分以内に森のような場所があるのは嬉しい。思わず、歩道から外れてヤブに入って撮影する。市内の公園とは思えない様な景観が得られて満足である。

 気ままに歩きまわる。来たことのない街並みを歩く。最近携帯電話という文明の悪器が浸透し、公衆電話を見かけることが少なくなって不便極まりない時代になってきたが、思わぬところで見つけた。家の軒下というのは風情がある。

 家族はデパートのうまいもの市へ行っているというメールが入ったので、夕飯を期待しながら帰宅したが、自分の分は無かった。漬物がお土産でそれで夕飯をと言われる。いつもの休日の習慣で、冷凍庫の中を探す。何か月前に買ったか、中の食材が雪のようになっているチャーハンがあったので、夕飯はそれで済ませる。
 妹が進学祝いをくれたので、内祝いを買うべくバックの中をかきまわしていたら、見知らぬ封筒が出てきて5万円入っていた。心当たりは無い。痴呆の方も歳相応にすすんでいるようだ。おそらく何年か前のボーナスの残りだろう。何か得した気分になった。今日も、充実した一日であった。