社員は家族

■「会社を絶対つぶさない仕組み」(高畑省一郎著、ダイヤモンド社、2013年)を読む。
 この本は、法人向けに書いてあるが、読みながら個人に置き換えている自分がいた。
「赤字企業が7割を超えている」
「倒産へのシグナルは自己資本比率が20%を切った段階である」
「単なる引き算の論理(すなわちリストラ)だけでは企業再生は覚束ないのが現実である」
「会社の存続に必要な唯一の実践は『革新』である。」
「明確な経営ビジョンのポイントは、わが社の製品・商品・サービス提供における顧客ニーズへの適合と、社員に対するわが社の未来像の提示である」
「人間は革新を嫌う」
「自分達で値段を決められない商売はするものではない」
「義を明らかにして利を計らず」(山田方谷
「先行管理」
「一日の3分の1は今日の〜、3分の1は1年後〜、3分の1は3〜5年後〜」
「いかなる理由があったとしても、チャンスを与えられて利益をあげられないのは、経営者として才能がないか、運に恵まれないかのどちらかである。」
「心構え」(チャールズ・スウィンドール)
  歳を重ねる毎に、『心構え』が如何に人生に重要かを実感してきました。
  実は、『心構え』は、事実より大切なのです。
  ・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・
  全てはあなた次第なのです。
  何故ならば『心構え』はあなた自身だからです。
「パソコンはそう遠くない日にタブレットにその座を譲り、〜」
「およそ軍勝五分をもって上となし、七分は怠を生じ、十分は驕りを生じる」
「たまたまの思考」
「運気のある成功された多くの経営者〜『よい人間関係』の構築〜」
「揺るぎない宗教観もしくは哲学を確立していること」
「20世紀最大の名著と誉れの高い『夜と霧』」
「大将の戒め」(徳川家康
  大将といいものは 絶えず勉強せねばならぬし 礼儀もわきまえねばならぬ
  よい家来を持とうと思うなら わが食を減らしても
  家来にひもじい思いをさせてはならぬ 自分一人では何も出来ぬ
  これが三十二年間つくづく 思い知らされた家康が経験ぞ
「松下という会社はええときはどんどん人を採用して、スワっというとき、社員を整理してしまうのか。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや。曇る日照る日や。一人といえども辞めさせたらあかん。ええか、解雇無用やでっ」(松下幸之助

■社員は家族
東洋経済からの抜粋である。
「ビジネス雑誌などを読んでいると、たまにインタビューなどで「社員は家族です」といった発言をする経営者を見掛けることがあります。
こういうことを言う経営者は、おそらく「うちの会社は、社員一人ひとりを家族のように大切にする会社です」ということをアピールしたいのでしょう。社員の側からすれば、会社がそんなふうに自分たちを大事にしてくれるというのであれば、心強いということになりそうです。
でもこの言葉、本当にそのまま好意的に受け取ってしまってよいものなのでしょうか?
「社員は家族です」と社長が言っている会社にかぎって、実は連日深夜まで残業させられたり、有給休暇が全然とれなかったりすることが多かったりもします。一部では、「社員は家族です」という言葉は、「アットホームな職場です」という言葉と並んで、ブラック企業を強く推定させるワードだから気をつけなければならない、とさえ言われています。
社員を「身内」のように考えていると、「今は会社が大変なときだ、だから残業代を払うのは勘弁してほしい」であるとか、「このプロジェクトがコケると会社が傾く、悪いがこれから1カ月、休みはないと思ってくれ」といったような、約束の範囲を超えたむちゃな要求が飛び出すようになります。
本来であれば、「残業代は払えない」であるとか「1カ月は休みなく働いてくれ」というのは、完全にルール違反です。会社には社員にそこまで要求する権利はありませんし、社員も別にそんな要求に応えなければならない義務はありません。それでもこういうむちゃな要求をしてくるのは、「身内」だから多少のルール違反でも大目に見てもらえるのでは、という甘えがあるからではないでしょうか。
このような考え方は、一見、冷徹なように思えるかもしれませんが、会社と社員がお互いに適切な距離を保つことは、経営者と社員双方が「甘え」の気持ちを持たなくなるという点でも意義があります。
家族のような身内だと、どうしてもなあなあになってしまい、お互いに約束が守れなくなったりすることがありますが、「取引先」は完全な他人ですから、約束はしっかり守らなければなりません。残業をすれば当然、残業代は払われますし、一方で社員の側も、給料の額に見合うだけの仕事をきっちりと果たす責任があります。
お互いに「よい関係」であるためには、距離は近すぎてはいけないのです。」