後光

■後光
◎仰ぎ見る剣の山に後光差す   禅智
 今日は晴れである。ここのとこ、日替わりの天気になっているようだ。見慣れた山も久しぶりに見るような思いだ。ここからは、早月尾根が良く見える。山の後ろが明るくなっており後光が差しているようだった。
 昼からは太陽は出てくれたが、帰る頃はやっぱり1月だなあと思わされた。ウインドウブレイカーの前のファスナーを目いっぱい上げたら顎が隠れフードが脱げにくくなり暖かかった。
 少し温めようと走ることにした。その場足踏みに近く、徒歩よりも遅いが早く行くことが目的ではない。自己発電であった。

■「殺したい蕎麦屋」(椎名 誠著、新潮社、2013年)を読む。
 この人は、この時点で240冊も書籍を書いているということだ。驚いたね。
「ぼくは『グルメ』という言葉を極端に嫌う。グルメはグルマン(大喰らい)が語源だから正確な意味で使われているのならいいけれど日本のそれは例によって和製解釈で、あたかも『食通な人』への賛辞のような言葉になっている。」
「世界生き残り競争になったとき、何も食えず飢餓でいちばん先に弱ってひっくりかえるのは日本人だろう。」
「わずか二百グラムぐらいの食品の中に十〜二十グラムぐらいも占める食品添加物の入っている食物をうまいうまい、と言って食っている〜」
「蕎麦の量だ。あまりにも少ないのだ。」
「〜ビールは通年、常温でおだししています」
「ヒトの噂話をしたりそういうのを聞かない」
「高級車が『権力』の象徴としてわかりやすいこういう風景をつくっている国は不幸だ。」
「テーマは『自給自足』」
「たねきそば」「きつぬそば」