夕立

■夕立
 今日は朝から雨である。こういう日は、家人が子供を送ってそのまま職場へ行くため車は使えない。どうせ、雨なのでどこへいっても空振りだろうからちょうどいい。
 こういう日は、美術館であったが、すでに済ませていたので、それならば創作活動と力んでみたが、創作の女神はまったく降りてこなかった。
 ご飯が残っていたので昼はカレーにする。レトルトカレーである。それも、箱に入っていないタイプである。値段で選んでいるのではなく、どうもこっちの味の方が自分には向いている。
 外へ出ればお金を使うだけというジンクスを破るべく、図書館へ向かう。老人たちのたまり場である。ここで、本を読んだり椅子に座って眠ったりしたら、夕方になった。雨雲が真上である。傘を持っていたが、本やカメラが入っているので雨に濡らすわけにはいかない。慌てて外へ出たら、うだるような暑さは幾分か和らいでいるが蒸し暑い。
 しばらく歩くと、ポツッ、ポツッと来た。私は条件反射的に傘を開いたが、周りの方たちは傘を持っていても知らん顔で歩いている。しかし、突然バタバタバタバタと大粒の雨が、そして風が吹き荒れた。
 久しぶりに夕立に出会った。アーケードに入ったので大濡れにはならず一安心。
 西の空は青空の切れ間があり、雲の動きが早い。すぐ止むと考えアーケードの出口で待つ。予想通り、10分ほどで止んだ。しかし、すぐに次が来るので早足で歩く。
 もう10分で自宅に着くところで、豪雨になった。アスファルトに降った雨が波のようになっている。暴風のためである。
 店の車庫で雨宿りである。ここでも、10分ほどで止んでくれた。夕立であったがほとんど濡れずに帰宅できた。

■「人生の道しるべ」(宮本 輝・吉本ばなな著、集英社、2015年)を読む。
「しかし、じつは何も変わってはいないのだ。絵画にせよ文学にせよ音楽にせよ、そのような世界で自分の世界を創りつづけてきた人間は変わらないのだ。」
「しかし文学というのは、自分の小さな庭で丹精して育てた花を、一輪、一輪、道行く人に差し上げる仕事ではないかー」(柳田国男
「突然、重症のパニック障害になりました。」
「心の病気というのは、気合なんかで治るようなものではないんです。」
「いまの、消費的で効率至上主義の価値観のほうが、不自然ですから。」
「神は細部に宿る」
「服は着られればいい。風呂敷は物を包めればいい。人生の生活がせちがらくなると、安ければいいという風潮が、一種の生活哲学となっていく。だが、それはやがて人間や社会からも大事な思想を奪っていく。『物』を見る目というのは、人間を見る目でもある。優れた『物』の価値を解せない人は、『他者』をも粗末にするようになっていくのだ。」
「死はたんに不幸なだけじゃないんだね。」
「最初から、これを人生に役立てようという読書はどこかさもしい。でも無心に読んでいたことが、ふとなにか役立つときが来るんです。」
「こんなに糖尿の人が増えたのは、戦後の、白米のような炭水化物に、油、砂糖のハイカロリーの組み合わせが、一般的になってからですよね。」
「死ぬということを生活の中で当たり前に意識する、いや、意識さえせずに、しかし当然に抱いている。それがきっと『道』なんですよね。」
「ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。」
「自分が重い病にかかるとか、〜死生観を立ち上がらせます。」
「彼女は、千利休の言葉である『当たり前のことがいつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう』の意味がやっとわかったと言います。この『当たり前のこと』とは、茶道の所作のことではなくて、死ぬことなのだと。」
「書き出したらなんとかなる」
「気力と生命力なんですね。」
「みんなが本を読まなくなって、日々やたらに忙しく早い回転ばかりを求められ、ゆっくりものを眺める時間もなく、短時間のひまつぶしには満ちあふれているこの時代の中では、まるで『深く考えちゃだめだよ』『そうしたら苦しくて損だよ』と言われているような気持になることが多い〜でも、それは違うんだと輝先生ははっきりと示している。」