疲労

疲労

 昨晩は、エアコンを付けっぱなしで寝入ったが、寒さで夜中に起きてしまった。その後、うつらうつらしていたものだから、睡眠時間が少ない状態で7時過ぎに起きた。朝シャンをしたが、なんとなくだるい。流れで、歩きだす。曇り空であったが、雨が降らないようなので、傘を持たずに出る。まもなく、ポツッと来た。まあ、こんなもの降っているうちには入らない。現に、そのままで歩いている方ばかりである。バス停に着いた。2分後に到着する時刻であった。疲労は歩いて居れば緩和するかと思ったが、逆で疲労度は増えるばかりであったので、バスでセカンドオフィスへ向かう。結局、降らなかったようだ。

 今日は日曜日で平日と勝手が違うので、チラ見で素通りしながらアーケード内を歩く。陽射しがある時もアーケード内はいい。いつもの席が空いたので、入店する。少しして、常連さんが来られる。今日は、話の中に入ることは出来なかった。席に座って、眠っていたからである。気が付くと、Y.O.さんが座っている。出られる時に挨拶を交わす。

 結局、いつもより1時間も早く出ることにした。帰って寝ようと決めた。出ると太陽が出ているので、ゆっくり歩いて帰宅する。歩数は全然足りない。買い物に出るのも面倒であり、食欲もあまりない。ひょっとして感染したのか・・・・?などと思いめぐらす。

 食欲がない場合は、おろし蕎麦がいい。あるもので賄う。

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 野菜は、焼いただけにした。今日はこれで充分である。さあ、寝ようとする。

 ところが、番組一覧を見ていたら、”剣岳 点の記”が放映されると出ている。直ぐである。思わず最後まで見入ってしまった。ところが、眠っていないにもかかわらず元気が出てきた。やはり山の効果だろうか?

 歩数を稼ぐために最短の喫茶店に向かった。疲れていると甘い物が欲しくなるのでケーキセットにした。ここのケーキはどれも美味しい。

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 今日は早めに眠ろうと考えている。

■「長生きがしあわせな島“奄美”」(冨澤公子著、かもがわ出版、2020年)を読む。

「100歳以上の百寿者は~2019年には7万人を突破した。」

「~加齢は一様に衰退現象ではない。」

「史学は~人が自己を見出すための学問であったのだ。」

「~ソテツの実を唯一の食糧として~ソテツの実には毒があり、食し方を間違うと悲惨な死亡事故につながる。」

「61歳は若年のお祝い、73歳は中年のお祝い、85歳で百歳を願おう」

「今は役場にハブを持っていくと、一匹4000円で引き取ってくれる。」

「超高齢者は自立した生活を営み、生きる目標があり、長生きを楽しんでいるようである。」

奄美では、死ぬまで働くのが当たり前の精神風土がある。」

「お年寄りは生き神様だからです。」

「長寿の地域要因~自然環境がよい、近隣などとの交流がある、馴染みの人がいる、親を大切にする、年中行事の機会が多い、新鮮な食べ物がある、高齢者を尊敬する習慣がある、現金の少ない暮らし、~」

「生活リズムを守るという意志力」

「超高齢期は“死に向かって成長する”とした。」

「自然がもたらすもにに、悪いと考えるべきものは一つもない。老いもそのひとつである」