クタクタ

■クタクタ
 松の剪定が続いている。不安定な上、無理な姿勢が続くことから疲れ方が違う。生徒たちは、温泉にいったり、8時に就寝したりしている。自分も似たようなものである。
 自分が担当したアカマツは最後まで残った。そこで、終わった人たちが応援に駆け付ける。困ったことは見方にばらつきがあることである。
 自分がもう大丈夫と終わったとしている場所も別の人が来て、ここはまだ終わってないなあ、として作業する。結局、時間切れで終了になった。
 これで、マツの剪定は終わる。この実習で自分がこの作業に不向きであることを分からせてくれて感謝である。やれやれと思っていると、学校の分は終わったが公園の分が残っているという。クロマツであって欲しいと願うのみ。
 午後からは、雪つりのシリーズが始まる。まず、その準備である。
 まず、杭打ちである。ハンマーの使い方を習う。やはり自己流ではダメであった。疲れにくい打ち方があるという。しかし、ハンマーを振り上げて杭の頭に当てるのは思いのほか難しく。十回ほどで交代してもらったが、これを数回行う。
 続いて、バンセンの縛り方である。杭とタケを固定するためにバンセンで縛るがこれが難しい。何とかという(もう忘れている)道具で締めるが緩いと指摘される。
 そして、最後はシュロ縄でのロープワークである。自分は何回やっても固く結べず土、日で練習して来いと宿題を与えられた。
 もう、クタクタであった。

■「漢字検定のアホらしさ」(高島俊男著、連合出版、2015年)を読む。
「人の漢字能力を検定してやろうというのが、正常な感覚から見るとアヤシゲだからである。無論検定していただこうというほうもかなりアヤシゲである。」
「とにかく出題者として無知の極み、救いようがない。」
「ここで得られる知識はまったく無用無意味である。」
「こんな試験を受けたり、受けるために漢字やことばをおぼえたりしたら、かしこくなるどころか、日本語のバランス感覚がおかしくなる。」
漢和辞典とは昔の中国の書物を読むための辞書である。」
「辞書というものは、みなアルバイトが書くものです。」
「この“夢溪筆談(むけいひつだん)”を読むと、地球が丸くて太陽のまわりをまわっていることを、当時の知識人は当然のこととして知っていたことがわかりますね。〜コペルニクスガリレオより何百年も前の書物です。」
「ただ、知性や知識が悪とされ、字も知らない無知な農民が潔白で正しい、とされたわけです。」
「〜東海林(とうかいりん)姓の人が庄司(荘園の領主)に任ぜられたので、字はもとのままでショウジさんと呼ぶようになったのだそうです。」
「この還暦について、“今度誕生日が来れば還暦だ”などと言う人があるが、これは誤解、はっきり言えば無知である。干支と誕生日とは何も関係がない。歴がもどるのはその年の一月一日なんだから、元旦の朝があけた時から、その一年間が還暦の年なのである。」