整地・他

■整地・他
 今日は雨なので、雨メニューになった。午前中は整地である。実習場には、小さなプールのような場所があり、中に砂が入っている。ここの場所は試験にも使われる。
 まずは、先の尖ったスコップ(略して、剣スコ)で上から30cmほどの砂をひっくり返す、いわゆる耕すという感じに似ている。この作業でも汗が出る。
 次に、ジョレンというクワのような道具でデコボコを調整する。そして、レーキという道具でさらに細かくならす。最後は、トンボで平らにする。ここまでは、粗整地である。
 ここで登場するのがレベルである。基準を決めて、2m間隔で標識を立ててそれぞれ高さを合わせる。最後は、コウガイ板と呼ばれる木の板でこの高さに合わせながら2m四方を各自ならす。確認は、目視の他に水平器も使う。終始中腰である。自分は、ある理由から中腰での作業は慣れていたが、それでも疲れる。
 全員が終了した時点で講評があり、その後、せっかく整地した場所を全員で剣スコで耕す。誰かが、土方作業だとぼやいていたね。いい運動になった。
 午後からは、通気管製作である。通気管というのは、樹の根っこまで空気や水をおくることで根の発育を助けるモノである。通常は、ネットにパーライトという石を入れて木の周り四か所に埋めるのであるが、これの代わりに竹で作るのであった。
 竹は鉈(なた)で縦に二つに割る。最初一撃を加え、後は鉈を上下に動かせば竹は自然に割れる。しかし、自分のは割れない。先生より、力はいりません、グリップを回転させるようにすれば簡単に割れると説明をされていたが、自分のはどんなに力を入れても割れない。『全員集合で〜す!』と悪い例にされてしまった。やむを得ず、鉈に刺したまま地面に叩きつけて割った。最下位以外の節を取ってシュロ縄で三か所縛れば終わりである。
 続いて、トリマの手入れである。刃にヤニが付いているのでヤニ取りスプレーをかけてウエスで取る。面白いほど取れる。
 最後に、木ハサミの研ぎ方である。結構難しい。ハサミの箱の裏に書いてあるが、実演してもらってようやく理解できた。しかし、自分でやらなければ分かったことにはならないだろう。

■「記憶の道草」(串田孫一著、幻戯書房、2015年)を読む。
「時間があれば何よりも先ず勉強をしたいと思っている人間にとって、文献は大切なものである。〜それを手放す気持ちになったのは、自分のこれから先の時間の計算が出来てしまったことにもなる。そういう寂しさが伝わった。」
「満五十歳を自分の停年と決めて、〜辞めさせて戴いた。」
「神がいて天国とか極楽などどいうつまらないところへ連れて行かれては困る。」
「兵隊は囚人であるということを〜」
「樹は私達より長い生命があり、落ち着いている。その樹に耳を傾けることを学べば、樹になりたいとは思わない。自分以外の者になりたいとは願わない。自分自らが故郷である。それで幸福である。」(ヘルマン・ヘッセ
「〜彼らは恐らく、私などには想像も出来ないような訓練を自分に課しているはずである。」
「人間が集まり、争いと怒りのために、その日その日を疲れ果てて終わって行く人も多いに相違ない。」
「〜人生は多難であり、誰もが表情は変えなくとも内に苦悩を抱かざるを得なくなる時がある。」
「怒りは愚者の胸に宿る」(聖書)
「怒りは無謀を以って始まり後悔を以って終る」(ピタゴラス
「四十代の終わりに、少々厄介な骨の病気をするまでは山を歩くのが自分の楽しみであった。」