講演会

■講演会
 今日は家人が休みで、自分は午後から講演会に行く予定にしていた。しかし、いつものことでイベントの数時間前に着いていろいろ考えたり本を読むことにしていた。日曜日の早朝は車が少なく静かで散歩にはいい。高齢者の散歩は珍しくないが、カップルでジョギングされている人たちもいる。富山マラソンの練習かも知れない。歩いていると、瞬間的にいい匂いがする。キンモクセイであった。花は見えねど香りが漂う。
 とりあえず、スタバに入る。ディカフェもあるし、Wi−Fiも使えるので利用しやすい。しかし、ディカフェを頼む人がいないと見えて、これから淹れるというので10分ほど待たされる。3時間ほど余裕があるので10分など誤差のようなものだ。
 日曜日のスタバは混んでおり、多くの生徒や学生がテキストと格闘している。高齢者も多い。中には、テーブルに座ってペットボトルだけを飲んでいるご婦人もいる。
 しばらくすると、何とか何とかフラペチーノというのをサービスしてくれた。名前を覚える気がないのでいつまでも覚えられない。カフェインが入ってないことを確認して試食品をもらう。

 本を読んでいると急に睡魔に襲われる。これは薬の副作用である。前の職場でも同じ症状になった。サボっていると罵られ、チクられたことなど思い出す。しかし当時、別に理解してもらおうとは思わなかった自分がいた。
 昼になったので、スタバを出る。昼食をワン・ダラーで済まそうとするとコンビニしかないが、近くにないので、パン屋さんのイートインコーナーにした。コーヒー無料券があったので、総菜パン2個で300円もかかってしまった。反省、反省である。
 講演会は涙が出そうな内容ばかりで感動した。

 講師の幼少のころは、学業よりもいかに周りを感動させるかに価値観があった。海外や国内のノンフィクション作品が多いようだ。小説や児童書も出版されている。
 ある国の物乞いビジネスというのを紹介されていた。裏社会の方が、ストリートチルドレンを誘拐し、身体障害者にして物乞いをさせ、そのお金で生活することである。一か月の収入以上の寄付が得られるという。この話の力点はそういうビジネスは良くないということではなく、犠牲となる子供たちは誘拐した人たちをかばうということである。悪いことだとか、やめなさいと言っている人たちには、子供たちの生活の面倒は見られない。しかし、誘拐した人たちは子供たちの面倒を見ていることが重要という。
 大震災後にも行かれたという。そこでは、炊き出ししたり、歌を歌ったりすることよりもウソでも心の支えになることがあるとのこと。そういうことを「小さな神様」と呼んで、日本は豊かな社会であることや、生きるに価値のある社会であることを見つけたいという。
 大阪の方に、難病でもう亡くなることが確実な子供たちの施設があるという。そこでは、子供たちが一生懸命勉強している。子供たちにとって、勉強は唯一の未来であるのだそうだ。
 往復徒歩にしたので、汗ばんだ。途中歌声が聞こえて来たので寄り道をした。
中央通りでコンサートをやっていた。おでんや焼きそばも売っていた。

 帰宅後、シャワーを浴びてくつろいでいる。