無題

■無題
 今日はいい天気である。しかし、山にはまだ水分が多いと考えて山行を延ばすことにした。家人を送ってからゆっくりと本を読む。一番多い過ごし方である。
 すぐに昼近くになる。
 先日買った生ラーメンがもう一食残っているので使うことにした。今回はどういう趣向で行こうかと悩む。そこで、ネギラーメンを試みることにした。ついでに、ムキタケもトッピングして見よう。
 まず、冷凍のムキタケを水で戻す。その間に長ネギを細く切る。ごま油となじませることと、山盛りに見せるために細く切るつもりが、ぬめってなかなか細くは切れない。糸のような白ネギにごま油がかかっている図を想定していたがムヅイ!
 ごま油は、高いのを買って来た。
 ムキタケは、流石に有峰産であり、里山で採れるのに比べ3〜5倍ある。今回は、バター炒めすることにして、薄く切る。
 野菜は控えめに200gとした。いつもの、野菜炒め用のカット野菜である。
 ネギ味噌野菜ラーメンにムキタケのバターソティー添え、というラーメンが出来上がった。

 ムキタケと毒キノコのツキヨタケが似ているという。少〜し、かじってから口に入れた。ムキタケはあまり風味や味が無いので、触感を味わうのでいいと思う。
 次いで、屋根に上って雨トイを直す。専門的には直せないので簡易的にガムテープで勘弁である。
 秋みつけである。これは、クヌギかアベマキかといつも迷うのだが、今回はきちんと図鑑で調べたら、上の髭が長くなっているのがクヌギと書いてあった。
 クヌギ

 少し歩いて運動不足解消を目指すが、しょせん気休め程度であった。

■「作家的覚書」(高村 薫著、岩波新書、2017年)を読む。
「ただの小説書きが“識者”などであるはずもない〜」
「的確に働いていた観察眼があるとき働かなくなり、判断を誤る。」
「人が欲望を抑えることをしなくなった現代社会は、人が上手に歳を取るのが難しい社会である。」
「これ以上節約のしようもない低所得者層は、食事の質を落としたり、医者にかかるのを我慢したりするのだろう。」
「思うに人口減少も人手不足も、この国が人間をたんなるコストとみなしてきたのとの帰結である。」
砂防ダムや堤防といった技術力で、自然を制圧できるなどと思ってはならないのだ。」
「〜微妙な言い回しが使われる限り、それは謝罪にも反省にもならない。」
「いま世界に蔓延しているのは、論理の整合性を欠いた欲望であり、論理の破綻をものともしない暴走の連鎖である。」
「〜気がつくと、情緒と欲望の低俗な言葉が政治や社会を座巻する時代になっていた。私たちが失ったものはあまりに大きく、もはや取り戻すことはできないかもしれない。当面私たちに残されている道は、すぐ後ろに迫っている大波に呑み込まれないよう、黙って逃げることだけである。」