■無題
昨晩、未登録の電話番号が表示され電話がかかって来た。昨年お世話になった会社からである。今年も出来ますかということなので、よろしくお願いいたしますと返した。
今日も送り迎えの一日であった。予定では朝、家人と子供がいっしょに出かけることになっていたが、子供が起きず家で待つ。昼近くに送って行って、迎えは14時。
その間は昼食を作る。今日はミソラーメンにする。今回はボールに調味料を全て放り込んでから炒めた肉野菜に投入した。
写真を撮ったのであるが、不思議なことに入っていなかった。
味は、店の味には遠くとても人様にお出しするわけにはいかないものの、まかないとすれば、まあこんなもんかなというところである。今回は、野菜はカット野菜を使わなかった。キャベツも大盛りになる、一般的に言う野菜増しになった。残ったスープにご飯を入れて最後まで平らげた。
14時の迎えの次は16時の送りで、その後は、家人の迎えになる。
公園に花が咲いていた。キンシバイである。ビヨウヤナギとの違いも明確になっている。
■「その世界の猫隅に」(斎藤 環著、青土社、2020年)を読む。(その3)
「“反応”としての写真」
「~男性の欲望は突き詰めれば所有欲でしかない。」
「かわいいは他者の支配欲の上に立脚しますから~」
「フロイトの言う“昇華”とは通常、欲望や葛藤のベクトルを、より無害で価値のある活動に振り向けることを意味する。」
「~感覚を鍛えることで、運動機能が改善したのである。」
「無力な芸術など存在しない。無力な作家がいるだけだ。」
「本来、人間の知覚は、デジタルな刺激を直接には受け取れない。」
「~仲間に承認されることを求めるあまり同調圧力に弱く、主体性が弱く主張もしない~」
「絵を描くことは神の神秘にたどりつく一つの方法です。」
「調子が悪いときは、ゆっくり寝ること」
「~現実の空間では集団のためのルールや規則が優位になりがちで、個々の思考はすぐ窒息させられてしまう。」
「技術的特異点(シンギュラリティ)」
「~“AIの人類支配”はありえない。」
「~コンピュータには記憶と計算しかできないからだ。」
「AIが人知を超えるなど夢のまた夢でしかない。」
「AIの真価は、その類い希な記憶と計算力によって、人知を補完することまでだ。」