尖山(夏椿ルート、下山)

■尖山(夏椿ルート、下山)
 それは一種の気まぐれから始まった。ここ尖山は標高が559mの高さで、一般ルートでは見たことはないが保育園の遠足も行われるような山である。人に言うと、なんだ尖山か、といわれるような山である。一年を通して登られており、主に積雪期に人気があるようである。しかし、ここには地図には標記されてないが、夏椿ルートという登山道がある。記憶は曖昧であるが3年ほど前であったろうか、山の会で連れて行ってもらった。結構マニヤックなルートであったことなどを思い出す。手軽に登れる山ということは、面白みに欠ける山ということと似たような意味になる。そこで、私は登りは一般ルートで登り、下山を夏椿ルートで下るプランを実施した。結果は無惨にも全然別の場所に出てしまい大失敗であった。
 喉にトゲが刺さったような状態で1年以上過ぎたが、ある時、くさのさんとこの話になった。くさのさんも登りでは登頂経験があったが下りはないという。普通は、夏椿ルートで登頂し、下山を一般ルートで下る方法が選択される。
 そこで、昨年の秋にいっしょに実施した。しかし、結果は自分の時と同じで水場の上に出てしまい失敗であった。そして、今回はそのリベンジ登山、ではなくリベンジ下山であった。
 いつもように私は自家用車が使えないので、ピックアップしていただくことになった。8時に待ち合わせということで、これを機に朝錬をすることにしたので、マックドを待ち合わせ場所にさせていただいた。そのため、5時に起床し30分歩いて6時に店に入る。この理由には無料コーヒー券の期日が今日までであることもあった。
 スマホのクーポンで朝マックを頼む。飲み物は野菜生活の氷抜きと薬を飲むための水と無料のコーヒーであった。しかし、ここで大変なことが起きてしまった。毎朝食後に飲まなければならない心臓の薬を忘れたのであった。まあ、仕方がない。昔は長生きはおめでたいことであったが、最近は長生きは天罰であるという論調もある。
 食べようとすると、なんとどこかで見たような後ろ姿を見る。くさのさんも同じ動きでマックドに来たのであった。そのため、7時前から出発することになった。
 あらかじめ、ゴール時点である夏椿ルートの登山口に車を停めて林道を歩く。

 直ぐに、上の登山口に到着する。自家用車でここまで来れる。

 野鳥も啼いている。あまり聞いたことのない声であったので、しばし立ちどまり声の方にレンズを向けたが、なんの鳥かもわからないアングルになった。

 ゆっくりと登り40分程度で登頂である。

色が退色したようなギフチョウが飛んでいる。

 今回は登頂が目的ではない。ここから下山する。

 長い急坂が続く。

 赤芽の樹木があったが、分からず。赤芽としては、アカメガシワベニカナメモチが有名である。

 峠に到着である。ここには大きなナツツバキの樹木が数本ある。

 登山道は荒れていた。太い倒木が登山道をふさいでいる。

 私は迂回して対応したが、くさのさんは飛び越えて対応する。流石!

 私が先に歩く。まもなく、昨年違った原因の場所に到着する。この赤いリボンを信じたために間違ったのであった。

 今回は、無視して道なりに歩く。しかし、登山道が下っている。そして、一般道を歩く登山者の姿が見える。このまま行けば昨年の二の前になることがわかる。
 くさのさんは、登り返した。赤いリボンが多かったが、登っているところがあったという。急登を登り返し、ルートファインディングをしているくさのさんである。

 そして、やっと付きとめられた。

 しかし、これで終わりではなかった。途中に三叉路があり、どっちの道にも赤いリボンが下がっている。まあ、どこかで交わうという可能性もあるが方向はかなり違うような気がする。ここが正念場であろうか。右へ行くか左へ行くかの判断に迫られている。ここは、コンパスの使い方ではなく地形を考慮した卓越したルートファインディング能力が要求される、というのは恰好がいいが、実際は、開き直りと同じクソ度胸の山勘が要求された。ここは、右に折れた。
 長い、あまりにも長い。そしてくさのさんの車が視界に入った時の喜びはすさまじかった。合っていたのだ。

 まあ、一度分かってしまえば何のことはないが、疑似遭難のようなことも体験できた。尖山!なめるなよ!というのが結論である。外から見れば、綺麗な円錐形をしているので、そのまま下山出来そうな気がするが、内部は複数の尾根が重なり、アップダウンがある山であった。
 下山後に固い握手を交わして祝福し合ったのであった。
 コシアブラのテンプラを食卓に置いておいたら、半分ほど無くなっていた。

 長年の留飲が下がった一日であった。疲労が激しく横になる。薬も飲む。
 少し採れたワラビの処理ときゅうりの下漬けを12本分を行う。
 寝ていると足が吊ってしまう。こんなんではこの先、どうなるのだろう、と不安が襲う。