葬儀

■葬儀
 本家のいとこから伯母さんが亡くなられたと連絡を受けていた。家族葬ということであったが、自分の母親の時にもお世話になっているので出席の旨を伝え会場を聞いたら、西の番ということであった。
 あそこは一番大きな祭儀場であるが、小さい部屋もあったと思い出していた。
 昨日のお通夜に会場へ向かうと、100名は入ろうかと思える式場であった。
 久しぶりにいとこたちに会う。自分の母は末っ子なので自分が一番年下である。もう70代の方もおられた。しかし、自分と分かると、親しげに語りかけて来られた。そして、昔の若かりし頃のようになじんできたところで、その腹何とかして、と誰彼にも言われ続けている言葉が発せられる。
 いとこの中で一番良く遊んでもらった、3歳上のいとことは式が始まるまで情報交換をする。役人になったが、定年で関連会社に勤めており、独立も考えているという。
 参列者は20名程度で直ぐに終わった。
 そして、今日が葬儀である。11時開始で、読経が始まったが、前列の80歳を越えていそうな方が、僧侶の読経に負けないくらいの声量で隣としゃべり出す、時折笑い声もする。
 11時10分には、喪主の挨拶が始まり、出棺は20分に終わり、ここまでである。
 これまで経験した式の中で最短であった。

■「それ自体が奇跡」(小野寺史宣著、講談社、2018年)を読む。
「〜ジムに通い、ランニングをする。」
「夫と妻、趣味嗜好はちがうほどいいと。」
「言葉は侮れない。口にしてしまったせいで、あと戻りできなくなる。」
「結局、人はブランドが好きですからね。」
「ケガをおそれたプレーこそがケガにつながる〜」
「同じ家に住んでいながら、すれちがう。」
「結婚は、それ自体が奇跡〜」