待つわ

■待つわ

 今日は朝から雨であるが、朝方は止んでいた。家人は臨時で休みにしたので朝から自由である。いつもの日常が始まる。外はひどく寒い。歩いていると街路樹に花が咲いたのが見れた。いつも見ていたつもりがフト気づくことが多い。ハナミズキである。

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 最近、テレビなどを見ていると、コロナと闘おうとかがんばろうなどという言葉が聞こえてくる。まあ、これで元気になる人はいいが、自分はならないねえ。廃業するかもしれない方からがんばろうと言われてもねえ。

 登山関連でも越境登山はするな!、来るな!という論調が多い。自分だけかもしれないが、登山をやっている方々は待つことに耐性があると勝手に思っている。思い出したことがある。あれは、白馬岳だったと思う。地図も買い、準備も整えたにもかかわらず天候が悪くて断念し、いつかいつかと思っていたらシーズンが終わっていた。そして、次は数人で行こうと計画したものの、ダブル低気圧が居座っており、断念。確かこの時に遭難者が出たように記憶している。また、来年こそはと思っていたら10年ほど経っていたというものである。今必要なことは「待つわ」ではないだろうか。今回のウイルスは手強いと思う。生物なので子孫を残すことが重要な生き方になろうが、これまでのウイルスのように免疫にやられてしまったり感染した人間を死なせてしまったら自分も死滅するので子孫は残せない。そうすると、発症しないように感染したりしてあの手この手で迫ってくる。こういう場合は、逃げるのみであろう。

 帰宅後、ラーメンを作った。旨かった。170円ほどといつもよりは掛かっているが、仕方がない。雨は上がったり降ったりを繰り返している。晴れ間に衣料店に行く。登山用の長袖のアンダーウエアを買いにいったが、半そでしか置いてない。店に聞くと、あんた!ダラけ!という顔をされる。

 公園を通って帰って来た。シロヤマブキの花が咲いていた。

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■「みらいめがね」(荻上チキ著、暮しの手帳社、2019年)を読む。

「価値観を人に押し付けるのは、野暮だ」

「人の生き方をわらうな」

「~僕は気付かなかった。仕事をする以外に、人生を楽しむ努力を何ひとつしていなかったことに。」

「初めて稼いだ1ドルは、額縁に飾ってとっておくものさ」

「人の褌で相撲を取るな」

「ガラスの天井」

「他人に感情を見せるというのは、自分の隙を見せることを意味する」

「人生を楽しむにはコツがあり、あなたには人生を楽しむ権利がある。そして世界はけっこう面白い。」

「アスリートは、食事を4,5回に分けて少しずつ食べるという。」

「やりすぎ危険!」

「~さすがに加齢と持病のため、健康は財産であり、体力は有限であると気づいてきた。」