セカンドオフィス

■セカンドオフィス

 朝4時過ぎに目が覚める。なんとなく体がだるい。登山の疲労であることは疑いないと考えている。歳を重ねると翌々日に来るのである。♪疲労 疲労になるとき あはぁ それは今~。

 今日は家人が休みなので、自由行動である。無理はしないように、早朝からセカンドオフィスに向かう。ここまで歩けば3,500歩ほどになるので、往復で7,000歩ほどになる。いつものように過ごしていると、先日知り合った蕎麦屋さんが自分の横のテーブルに座り、スマホの写真を見せて、名前を聞いて来られる。そのメールのタイトルは”鑑定依頼”となっていた。この方は、知人から植物に対する質問を受けておられるようである。話を聞いていくと、キノコにも造詣が深い。植物の名前は、分からなかったので葉の形をしっかり焼き付けて帰宅後調べて、カシワバアジサイと連絡する。メイゲツの移植も相談された。自分の勉強にもなるので、歓迎したい。

 もう少し仲が深くなったらそば粉を売ってもらおうと考えている。何せ、相手はプロである。

 帰宅後、疲労を感じてどうも作る気がしない。ハムサンドとガーリックライスで済ます。ガーリックライスは、ニンニク油の中にご飯を入れて、塩コショウのみである。おこげのようになれば成功である。

 午後からは、大事を取って昼寝である。窓を全開し、扇風機を掛けていると自然に目が閉じて来る。

 夕方、靴を洗いにコインランドリーまで歩き、その後少し遠くまで散歩し、歩数は、18,000歩になった。

■「人生の正解」(勢古浩爾著、幻冬舎、2019年)を読む。

「永遠に生きるかのように学べ 明日死ぬかのように生きろ」

「~趣味もなく、家庭も振り返らず仕事一筋でがむしゃらに働いてきた人生がいかに不毛な結末を迎えようとしているのか~」

「だけどいいよねえ」

「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ~そういう生活をして生涯を終える者が、一番価値のある存在なんだ」

「友人が多ければ多いほどいい、などというのはただのばかでしかない。」

「~死ぬことに失敗した人間は歴史上ひとりもいないのである。」

「現在では人が好きでやっていることを腐したり、侮辱してはいけないことになっている。」

「つまらぬ芸能人を出すのだけはやめてもらいたい。」

「名誉なんかいらない。ひたすら欲望に正直。」

「そのときその場で楽しいことはいくつもあったが、それだけのことで、つまりボーッと生きていたのである。謙遜ではない。」

「結局、行き当たりばったりの人生だった。」

「人生に目的などない」

「宴会は、権力を確認・拡大する場面である~」

「人生で問題なのは、日々の悩みと選択と決断である。」

「人生の往きがけでことごとくちゃらんぽらんにやりすごしておきながら、最後の還り道だけで、ちゃっかりと“よくやった人生だった”などと思うのは、いかにも虫がよすぎる。」

「得をしようとすると、心が汚れる」

「誠実であることは、信頼の元である。」

「仕事に力を尽くすことは究極の自己満足である。」

「人生はもっと楽しく、チャランポランで、適当でいいのではないか。」

「かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め」

「~力の弱い正義はほぼ100パーセント負けるのである。」

「~人生で唯一しなければならないことは仕事だけである。」

「お金の満足分岐点」

「オカネに強くなるためには、オカネ以外の価値観をもたなければなりません。」

「不調になったときに、真価が問われる。」

「アホとは、自我が心地よくあることが一番で、そのためには他人を不快にしても平気な人間のことである。」

「不快だけがいつでも生々しく蘇る。」

「去る者は日々に疎し」

ネガティブ・ケイパビリティ~どうにも答えの出ない、どうにも対処しようもない事態に耐える能力」

「何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」

「テレビの持つあの非常に安っぽい情報、安っぽい娯楽、安っぽい教養、そういうものは一度、拒否してみていいんじゃないか」

「お金以上の価値を自分で見出せなかった人間は、人間に生まれて来た価値がない。」

「不機嫌で怒りっぽい人は、存在しなくていい」

「他人を支配したがる者の人生は不可」

「毎日懸命に生きている人はそれだけで正解」

「~私の人生を振り返ったとき、どこからどう見ても、ふつうの人生であった。」