■走馬灯50
ぜんちの人生は幸せでした。
■「人生の四季に生きる」(日野原重明著、岩波書店、1987年)を読む。(その1)
「自分が歳をとったということを実感する時期は、誰にも予測しがたいものです。」
「世の中には悩みや苦しみがあるのに、無感動の人もありますが、その人たちはむしろ不幸な人だと私は思います。」
「~人生の四季は繰り返されることなく、最後には死への花道が展開されて幕が閉じるのです。」
「私たちは、人は生まれて一回だけ死ぬという現実を知っています。」
「私たちのからだは、冬に依って終わる。死によって終わる。」
「しかし今まで経験したことのない趣味の世界、学習の世界に入り込むということができれば、私たちはもっともっとめいめいの知性と感性を高めることができましょう。」
「病まなくても人は老いて朽ちます。」
「~この生死一如とは、私たちの生きることが死ぬことだといっているのであります。」
「人間のからだは、病気にかからなくても生物学的にある年齢にくると老化の結果死ぬものです。」
「~その人に宗教がない限り、彼らに静かな死は不可能だといっています。」
「死ぬ前に、自分の生涯が何らかの意味において意義があったと感じられるような人の場合には、死が来ても、これを自然に受容できることが多いように私には思えます。」
「人間が本当に自由になる時代が人生の最後にくる~」
「人は仕事をもって働くことによって生きがいを感じ、それがその人の幸福感につながる場合が多いのです。」
「九十にならないとわからないことがあるから、君も長生きしたまえ」
「~病気の回復期になってからは、元気な級友の何倍もの本を読むことができるようになった。」
「~使命感をもつ職業についている者は、仕事が忙しくても、ストレスに追い込められないですみ、むしろ心の平静が保たれるものと思います。」
「人間が人生の最後、死に直面して一番身につけていなければならないのは、平静の心である。」