■雨上がり
今朝は4時過ぎに目が覚める。昨晩は何時に眠ったか覚えてない。確か、9時からNHKの特集を見ていたことは覚えているが、終わりを覚えてないので10時前に寝入ったようだ。そして、深夜にスイッチを消した。当然、もう一回眠ることにした。しかし、5時になってしまった。外が明るいのが眠れない理由だろうと音楽を掛ける。本も読んだが続かない。今日は家人が休みなので朝から自由行動になる。7時前に家を出る。いつものセカンドオフィスが7時30分開店だからである。10分ほど歩いて、薬を忘れたことに気が付いて戻る。近所の方に”もうお戻りですか?”と声を掛けられた。
朝出がけは道路が濡れており、樹の葉にも露が光っており、♪雨上がりの 朝~という歌と♪~どうしたんだ へいへい ベイビーが頭の中で交錯する。それにしても気持ちがいい朝である。今年の夏至はいつだろうかなどど考えていた。
セカンドオフィスでモーニングセットを頼む。今日から3日間は感謝セールでポイントが付く。ここで、いつものようにくつろいでいたら、常連さんで顔だけは知っている方から声を掛けられた。自分は図鑑を広げているので、その方の友人も花が好きで、雪割草を800鉢置いているということであった。自分はそういう話を聞くと雪割草は、盗掘されたのではと疑いたくなる。ただであげると言われてもお断りのパターンである。しかし、その方は種から育てているという。これは言わなかったが、最初はどこから手に入れたのかが重要なのである。平地には自生しない。
そうこうしていると、蕎麦屋さんが来店される。自分の横に座られ、昨日の写真の評価であった。蕎麦は寝かす必要がないことと、特別な道具は不要で、まな板とすりこ木で十分ということであった。水をもう少し増やした方がいいかもというありがたいアドバイスを受ける。そうして、自分で打って自分で食べるのが一番ということであった。
昼になったので、図書館経由で帰宅する。途中八百屋さんに寄って、しょうが、にんんく、メロンを買って帰る。昼は、昨日打った蕎麦を伸ばして切って茹でる。少し時間を長くした。天ぷらも付けた。昨日とほぼ同じメニューである。しかし、これで満足である。
昼寝をした後で洗車する。先日、洗車指令が発出されていた。掃除機で中を綺麗にしてからシャンプー洗車をする。汗びっしょりになってしまった。歩数は1万2千歩を越えた。
■「はつらつと老いる力」(帯津良一著、KKベストセラーズ、2019年)を読む。
「人にはそれぞれ、その人に適した“正常値”があります。」
「~日々前進する気持ちで、前のめりに取り組んでいくのが本当の健康法であり~」
「人はもともと、明るく前向きにはできていないのだ。」
「人間の本性はかなしみである。」
「死生観を持たない医師の診療を受けることほど怖いことはない」
「~人のために生きるというのは、どうも免疫力を上げるのではないか~」
「ときめいて食べることは、自然治癒力や免疫力をぐんと高めるからです。」
「ゲルソン療法のような極端な食事療法は、がんが進行して背水の陣になったようなとき、日常性を変えるうえでは悪くないと思うのです。」
「~八十歳頃でも一日二十キロは平気で歩いた~」
「道を楽しむ人は長生きする」
「貝原益軒~最後の五年間に二百冊以上書いた~」
「ストレスは人間の宿命である」
「凛として老いる」
「今日が最後の日」
「~これまで営々と築いてきた攻めの養生を一気に加速し、いざとなったら死後の世界へ突入する」
「普段から、自分のラストシーンを考えておくのもいいですね。」
「虚空と一体となる」
「聖人は死に案んじ、賢人は死を分とし、常人は死を恐る」