■キチョウ
今日は家人が中番なので10時ぐらいの出勤になる。そのタイミングで子供も一緒にでるということで。朝早く外出する。朝シャンを済ませてから7時前に出る。行先はいつものセカンドオフィスである。今週、一回利用に5ポイントが付く感謝セールをやっているのでこれまで皆勤賞である。
天気は曇りで影が出来ない。そういう場合は、日陰を選ばずに歩く。風も適当にあり、最初は歩きやすかったが、アーケードに入るころには玉の汗が出てしまった。
途中、とこかの庭木にボケの実が成っていた。
いつもの常連さんがやって来る。隣で城崎温泉の話題が聞こえて来たので、悪い癖で途中で会話に加わる。自分も家族で泊まったことを思い出した。話を聞いていると宿泊料金が3万円で安かったと話されており、もう話は出来ないなあと感じた。高齢者の見栄ほど悲しいことはない。まあ、経営者の方のようであるが・・・。昔、会社の役員であったとか、工場長だったとか、部長だったとか、大きな会社に勤めていたとかは、定年後は無関係である。それよりも、どういう生き方をしているかに関心があるが、おうおうにしてこういう輩は自慢話に終始する。付き合っておられない。直ぐにボケるだろうと悲しくなって同情してしまう。
期待を込めてATMに向かう。人生のキチョウな時間を使って操作し、通帳を入れるが、明細がありませんと表示される。今日もダメか。こんちキチョウめと思う。
帰宅後、ご飯が残っているのが分かっていたので、チャーハンを作る。手抜きである。まあ、そこそこ食べれた。
午後からは雨であったが、ズボンを買いに出る。最近、服飾費にかなりお金を掛けている。まあ、太ったために昔の服が着れなくなったためであるが・・・。
■「死ぬときに後悔しない生き方」(内藤いずみ著、総合法令、2019年)を読む。
「最近は三途の河もフェリーで越えるんだよ。」
「背伸びせずに、のんびりと、何かに心奪われることなく過ごす。」
「~それが人生の役に立つかどうかなんて考えずに、とにかく楽しむことです。」
「強い痛みや苦しみは、人格まで変えてしまいます。」
「検査した時にはもう手遅れでした。」
「人を看取り、送り出すことは祝祭にちかいのかも~」
「人は生きていたように死んでいくのです。」
「お花を育てられない医者が人のいのちを診れますか」
「あの病院には帰りたくない。自分の大事な人生が無駄になる。」
「いちばんでゴールするのもビリで走るのも、つらさは同じ。」
「~いつも明るく、へこたれない人の方が、充実した老後を送ることができる~」
「人生に偶然はない。」
「老いて、枯れていくというのは自然なことなんだな~」
「人生をしっかり生き切るということは、その人の責任です。」
「今日もいい日だ。明日も前向きにいく。」
「人が生まれるとき、生まれてくる者が泣き、迎える人たちは笑う。死ぬときは送る人が泣き、死ぬ人が笑う。そんな人生でありたい。」