感謝祭

■感謝祭

 朝、家人から無料のコーヒー券を10枚ほどもらう。この券のお陰で2回も店に入ることが出来た。

 子供がオンライン授業のため家には入れず、喫茶店やらファミレスやら公園やらで時間を過ごした。その結果、炊飯を忘れてしまったのである。何年も前から炊飯は自分の分担になっている。コメの調達からである。

 家人を迎えに行く時にそれを言うと、あるうどん屋さんで感謝祭をやっているとチラシを出しながら選んでいる。2人前、3人前・・・とある。2人前の場合は、うどん2個、天ぷら5個、いなりずし2個で1,200円とあった。460円ほどお得となっている。どうせ、ご飯がないので夕飯はこれにしようと意見がまとまり帰宅途中の店に入った。幸い、駐車場は空いていた。

 順番に取っていくと、持ち帰りは20%引きとなっている。そうして、チラシには割引券が付いている。結局、800円代で収まった。今月中なので、もう一回やろうとなった。

 自宅で原木栽培が成功したシイタケは、大きいのを採り食べたが。弾力が違う。やはり、新鮮なのは美味しいね。

■「風流ここに至れり」(玄侑宗久著、幻戯書房、2014年)を読む。

「桜~枝垂れるというのは、突然変異だからである。」

「あらゆる競争は、紙の前での遊びである。」

「~折口信夫が“サクラ=サ(穀霊)+クラ(座)”として農業神の降り立つ木と規定する~」

「~“空即是色”、つまりエネルギーが物質として反転する瞬間である。」

「~疑いを知らない無邪気さは、やがて邪気を退散させる絶大な力と認識されていく。」

「理想の枠組みとは、つまり原発に象徴されるような、市場原理と効率優先、そしてシステマティックなあり方である。」

「あるひとは外出を控えているうちに血圧が30も高くなったといい~」

「つまり我々は、意識はしていないが、ほとんど皆親戚なのである。」

「この底の見えないストレスが、いろいろ想定外の事故を生み出すのだろう。」

「政治とはこれほどまでに無力なものだったのか。」

「“地獄の底”(=金輪際)~」

「稽古とは一から習ひ十を知り十よりかへる元のその一」

「無常であるがゆえに、時には恐ろしくとも、恵みも期待する。」

「~核燃料を水流で冷却したとしても、無事冷却できるまで七、八年かかるという事実に驚いた。」

「もう“がんばれ福島、がんばれ東北”というスローガンはおやめいただきたいと思う。」

「~あらゆる災害に有効なのはいわば心の“免震”、あるいは免震的な生き方である。」

「ある程度信念をもつことは、むろん必要なのだろうが、状況を見なくなるとそれも単なる執着に堕する。」

「悪戦苦闘してたぶん三回は書き直したと思う。」

「“忘れる”という脳機能を表す、防衛本能のことだった。」

「小説を書く人間は、なにより常識人である。」

「才能とは、ながい期間にわたっての忍耐にほかならない。」

「常に我々は巨大な“分からない”世界の前に佇んでいる。」

「目はかすむ耳に蝉鳴く歯は落ちる雪を戴く老の暮哉」

「~雲水と呼ばれる修行者たちがしているのは、あらゆるものを喪失する体験である。」

「禅僧にとっては日常ころ創作の対象。」

「~荘子は“真人”の呼吸は踵でするのだと書いている。」

「~じつは“般若心経”の全体が暗記して唱えるべき呪文なのです。」

「なぜかお彼岸界隈にはどんどん新芽が出て伸びる。」