ミス

■ミス

 大して長くもない一生を生きている中には、やることなすこと裏目裏目に出てしまうことがある。特に、高齢者と言われる60代を迎えてから多くなってきたような気がしている。これをどう呼べばいいのかわからなかったのでミスにしたが、ヤキが回ったなどとも言えるかも知れない。

 朝は、いつもと同じで家人を送ってから子供に振り回される。今日は3箇所であった。この時点では、このまま無事に一日が終わると考えていたものだ。午前中にショップに買い物に行く。昼に食べる蕎麦であるが、今日は暖かいのでとろろ蕎麦で考えていた。ニンジンも消化しなければならず、いっしょに合わせるゴボウも買う。

 昼まで2時間ほど時間が取れたので、コーヒーショップに入る。すると、知り合いの方から、樹木鑑定と野鳥鑑定の依頼が届く。こういうのが年間数件ある。思えば、朝のセカンドオフィスでの常連さん達とのきっかけも植物鑑定であった。

 図鑑は常備しているが、写真だけではなかなか分からずと回答した。野鳥は直ぐに分かった、通称「ジョビちゃん」であった。

 帰宅後、昼を作る。見るとつくしがまた生えている。一つかみ摘み取る。

 さっそく、下ごしらえである。ゴボウは一本全て処理してタッパに保存し、一部は人参と合わせる。つくしはキンピラにした。ピリカラが無かったのでごま油で炒めた。

 問題は蕎麦である。前回上手くいったので気にもしなかったが。取り出した時点で変化が分かった。案の定伸ばすと割れが入る。これが、蕎麦は生きている、と言われるゆえんであろうか。それでも、なんとか伸ばすことが出来た。切るのも問題はなかった。しかし、茹でた後に水冷しているときであった。ぶつぶつに切れていた。まるで十割そばのように切れてしまった。この時点で、ザルに盛る予定を丼に変更した。味は良かったが、ショックは収まらない。まあ、奥が深いというのか、繊細というのか、まだまだ満足するには早いという事実だけが頭の中で錘のように引きずっている。

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 写真を撮って食べようとしたら、汁が無いことに気が付いた。慌てて3倍濃縮の麺つゆを作った。

 それでも、お腹はある程度膨れた。フキノトウの天ぷらは皿に山盛り作ったが、家人が2個だけ食べてくれた。感想は苦いの一言であった。フキミソは手も付けられず予定通り自分がご飯に添えて消化している。そんなに不味くはないのであるが・・・・・。

 子供を迎えに行き、そのまま送りに行くと、時間が2時間ほど出来る。ここで、コーヒーショップに入る。しかし、LINEが機能しない。再稼働してもダメである。そうして、ここから魔が差したと思わざるを得ないが、LINEをアンインストールして再設定を試みた。設定する時に暗証コードがメールで送られてくるのでそれを入力しようとしたら、メールが開けない。これはただ事ではないと、スマホショップに向かう。

 すると、受付もしない内に担当の方が対応されて、現在アンドロイド端末に障害が起きていますと告げられる。スマホの問題ではないということで帰宅するが、現在、LINEが不通になっている。その上、アンインストールしたものだから、全て再設定をしなければならない。人間、取り返しのつかないことをすると、「あ~ぁ!」とか言いながらしょげるのであろう。自分も昔そうであった。しかし、ショックが大きすぎると、無言になってしまう。

 ニュースを眺めていると、アンドロイドの障害のニュースを報道していた。今時点で、LINEはつながってません。

■「雪月花」(北村 薫著、新潮社、2020年)を読む。

「採点はこのように、正常な人間を破壊するほどの激務である。」

「時間が自分勝手に、速く流れて行く。」

「苦しいからこそ、自分の立ち位置が確認される」

「文字とは不思議な楽譜だ。」

寸鉄人を制す。アフォリズムーー戯言というのは~」

「~閉所恐怖症というのは人間の持つ原初的な感情のひとつだろう。」

「木村 毅(きむら き)」

芥川賞は新人にやるものだ」

「針で刺されるような寒さの中にも、生活のためには、出て行かなければならなかった。」

「深い教養があり、古今東西どんな書物についても書ける。」