散策

■散策

 昨日も熟睡だったようで、5時過ぎにスッキリと起きる。自分が掲げる豊かな生活のバロメータの一つに、質の高い睡眠を上げているが、今までのところ良好である。

 今日も天気が良さそうだ。朝食はパンにすることが多いが、自分でもなぜか分からないが冷やし中華を作った。全て自家製である。今回も満足の味であった。

 そうして、まだ7時前ではあるが、セカンドオフィスへ向かう。途中で図書館に寄りブックポストに借りている本を返却する。実は、森鴎外の即興詩人を借りていたのであるが、読めず。ガイドを当てて一行ずつずらしながら読んでいたが、50ページほどで嫌になったのでこれも返却する。途中で読むのをやめた本は、初めてではなかったが、以前の本は思い出せない。

 常連さんは2名来店され、いろいろな話で盛り上がる。今日は、知人のTさんと散策の予定であった。その場合は、10時に連絡が入ることになっている。10時になっても入らなかったので、バスで山へ行くつもりで店を出る。もう8分でバスが到着するタイミングで連絡が入り、近くまで迎えに来ていただいた。

 場所は立山町のあるところである。

 見上げると知人のTさんが急斜面を下ってくるところである、おや?手に何かを持っているが、小さくて見えない。

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 散策は昼食を挟んで2回することになっていた。なんといってもこの時期の風は最高である。汗をかかない程度で山を歩く。

 昼食はいつもの店になった。

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 自分は最新の撮影方法を試みる。

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 ラーメンは勉強のために頼んだ。自分のとは比較にはならない。一口食べて、「カンパイ 今君は~」と諳んじた。

 そして、散策第二部である。ここもゆっくりと汗をかかない程度の山歩きである。しかし、竹藪の前を通るルートになっている。もう、この時期はタケノコは大きくなって駄目だろうと歩いていると、奴はいた。

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 もういいと戻ろうとしたら、奴はいた。

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 結局なんだかんだで5本ゲットである。また、叱られそうである。

 適当に切り上げて、コーヒーを飲みながら駄弁って解散であった。歩数は1万5千歩ほどで、今日も熟睡かなあ。

■「意識と本質」(井筒俊彦著、岩波文庫、2020年)を読む。

「常に無欲~」

「物の心をしるは、すなはち物の哀れをしる也」

「馬であることは馬であること、ただそれだけ」

「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」

「“存在する”とは“働く”こと。“働く”ことは“存在する”こと。」

「“無心”の形而下学としての禅が~」

「“ア”はサンスクリットでは否定を表す接頭辞である。」

ヘブライ語の子音~第一位を占めるのが”アーレフ“という子音。」

「マンダラ~マンダとは、もともと、牛乳を精酵して得られる“醍醐”を意味する。」

「言語は存在の家だ。」

「~禅の修行の道の第一歩は~意味的凝結体を~一挙にーー溶かしてしまうことにあります。」

「~当の私が自分自らを理解しないでおいて~一体何になるでしょう。それがまさに禅の問題とするところ~」