■後遺症
今日は仕事は休みである。昨日までの予定では、午前中にフォレスト関連の作業で午後は小学校へ下見ということであった。しかし、午前中の作業が急に日程変更になり、午前中はいつものようにセカンドオフィスに向かう。
朝からだるい。根拠はないが、無理したツケが回っているのではないだろうか。
セカンドオフィスでも4人が揃った。ヒガンバナなどの話がでていたが。自分は殆んど眠っていた。とても目を開けておられない。
午後からの小学校は約束していたので、バスで向かう。800円の区間が100円である。近くに喫茶店があったので、ここでランチである。
フライは鮭であった。骨が入ったままであったので、危うく引っかけそうであった。
ハルマキは手作りのようだった。
小学校に向い挨拶をしてから樹木調査に向かう。これは大変である。間違ったら信用問題になるので図鑑でも確認しながらである。ツバキとカエデの園芸種があったのでこれは説明対象から外すことにした。樹木が高く確認できない樹も対象から外す。しかし、分からない樹木も出て来た。これは、葉を採取して自宅で調べることになる。
そして、樹木の説明資料を作る。まったく合わんなあ。しかし、自分で選んだ道なので採算度外視で取り組む。1時間もすると眠気が襲って来て、初回は早々と引き換えした。
駅に到着してコーヒーでもと思ったが、眠たい、だるいで自宅へ直行である。登山の後遺症はいつまで続くのか。
■「作家と犬」(多数著、平凡社、2021年)を読む。
「西洋では貧乏人は高価な犬を飼う。金持ちに売りつけてもうけるためである。」
「楽しむことをいくつ知っているかで、老後のしあわせはだいぶちがう、という。」
「結局、還る所は土だと思う。」
「子孫をふやすことは魂を増やすことで、これまた悪いことですよ。」
「人間は単なる葦である」
「~オオカミや本来の野生犬でも、飼犬たちの中に入れて、一緒に生活させているとイヌと同様にワンワンと吠えるようになる。」
「けさは猫の食べ残しを食べた。」
「生物は皆一様に死ぬのだから~」
「生きるってことは、平和なものじゃないんですよ」
「目的に沿ったやり方というものはあっても、正解なんてものはない。」
「~ものとの付き合いは、自分と世界との折り合いの付け方の一つの象徴的な顕れでもあるように思う。」
「暴力は振るうほうが弱虫であり、かつ醜悪である。」
「~私はこの人生、もうそろそろいいかなと考えている。」
「~あんなじっと止まって動かぬ球を打って、その後をのろのろ歩く年寄りじみた競技は大嫌いだ~」
「年月を経て土葬された地面が平になることは、亡骸が土に還った証なのだ。」
「一緒に過ごした人間は時を経て変化するけど、犬はいつも変わらない。」
「~人は自分が好きなものを他人もみんな好きだとおもってはならないのだ。」
「ペットは生半可な気持ちで飼っていけないのだ。」
「犬を飼うとは、ある意味では自分が変わることでもあった。」
「犬とは一度手に入れた権利を絶対に手離さぬ存在である。」
「犬の帰家性は鳩の帰巣性のやうに、動物の神秘である。」
「すべて動物の心といふものは、人間が頭から馬鹿にしてかかっているよりも、遥かに微妙で鋭敏なものである。」